あなたの霊的知能指数は?

ルカの福音書 8章

 
4節 さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々が
        みもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。
5節 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、
        道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、
        空の鳥がそれを食べてしまった。」
6節 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、
        枯れてしまった。
7節 また、別の種はいばらの真中に落ちた。ところが、
        いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。
8節 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
 
今日は、イエス・キリストのたとえ話を見ていきましょう。
 
イエス様は良くたとえで話されました。
天国の教えや、天国の原則を、この地上のもので代用されて教えられたので、聞いた人々は「良く分かった」のです。
このたとえ話は、当時の律法学者の難しく、訳の分からない話とは違い、分かり易く、しかも神の権威に満ちていました。
そもそもたとえ(パラボレー)、とは、”そばに投げる”という意味です。
天国の事を、誰でも分かる言葉で、地上にあるものを使って、人々のそばに投げたのです。
今日のたとえは、「種蒔きのたとえ」です。
このたとえは、マタイ・マルコにもあります。
マタイには詳しいイエス様の解説が付いています。
逆にルカはシンプルに書いています。
この当時の種蒔きは、麦の種を長袖の裾をめくって包んで、畑に手で投げ入れて蒔きました。
 
このたとえ話の“種(みことば)”は主に4つの地面に落ちます。
1)道端
2)岩の上で土の浅いところ
3)いばらの生えた地の中
4)良く耕された土の上
 
ここで一つはっきりと言えるのは、種そのものには発芽する生命力を持っていて問題はない、という事です。
問題は、蒔かれて落ちた土や土の状況にあるのです。
そして、種が蒔かれた土とは、私達の心の事です。
心の状態は、種が芽を出し、成長し、実を結ぶという事に大きく関係しています。
つまり、私達の、みことばを聞く心の状態、聞く態度が最も大切だという事なのです。
 
マタイの福音書 13章
 18節 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
 19節 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、
            その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。
            道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
 20節 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、
            すぐに喜んで受け入れる人のことです。
 21節 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、
            みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
 22節 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、
            この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、
            実を結ばない人のことです。
 23節 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて
            それを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、
            あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」