わたしの名をそこに置く

歴代誌 第Ⅱ 7章

 
 11節 こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようと
            ソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。
 12節 すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。
     「わたしはあなたの祈りを聞いた。
           また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。
 13節 もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、
            いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、
            もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、
 14節 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、
            わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、
            彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
 15節 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
 16節 今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。
            わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
 17節 あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、
            わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、
 18節 わたしが、あなたの父ダビデに、
 
            『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない。』
            と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。
 
今日は教会の本質について、旧約聖書から新約聖書への流れを、神のご計画の漸進の中で見ていきたいと思います。
 
教会の誕生は、西暦30年頃です。
教会は神の思いつきではじまり、誕生したのではなく、神の深い摂理とご計画によったものでした。
そして、そのひな形を旧約聖書の中に見る事が出来ます。
 
教会のひな形とは、3つの神殿(ソロモンの神殿、ゼルバベルの神殿、ヘロデの神殿)です。
 
ソロモンの神殿
  ソロモンは立派な神殿を実に7年の歳月をかけて造りました。
  ソロモンの神殿の献堂式の祈り(Ⅱ歴代誌6:18)→神の栄光(7:1、2)
→神のこたえ(7:16)
 
歴代誌 第Ⅱ 6章 18節
 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。
   実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。
   まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
 
7章 
1節 ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。
   そして、主の栄光がこの宮に満ちた。
2節 祭司たちは主の宮にはいることができなかった。
   主の栄光が主の宮に満ちたからである。
 
B.C 950年に完成したソロモンの神殿は、礼拝と儀式の中心として、その後360年続いたのですが、イスラエルの偶像礼拝という堕落によって、バビロンに滅ぼされてしまいました。
ここで大切な事は、ソロモンは荘厳な神殿よりも、そこに神が名を置く事(臨在される事)に神殿の価値がある事を祈っている事です。
 
その後、ゼルバベルの神殿が出てきます。
これは、捕囚より帰ったエズラ、エレミヤにより、約20年ぐらいかかって建てられました。(エズラ1:3、6:15)
しかし、儀式中心で形骸化し、B.C 37年、ローマのポンペアラスによって、神殿は破壊されてしまったのです。
 
エズラ記 1章 3節
 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。
 その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。
 この方はエルサレムにおられる神である。
 
6章 15節
 こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。
 
次に、イエス様の時代にヘロデの神殿が建設されていました。
B.C 20~ ヨハネ2:20に、46年を建設に要していた、とあります。
この時、イエス様は、人の手で造った、やがて破壊される神殿ではなく、永遠の神殿について語られました。
この神殿は、2:19にあるように、イエス・キリストの手によって、建てられるもの、キリストの死と復活によって建てられたものです。
 
教会の最初の殉教者ステパノが言いました。(使徒7:47~50)
 
このように、キリストの教会は、神のご計画と摂理によって、うちたてられ、その中心は、神であるキリストがおられるという事です。
 
ヨハネの福音書 2章 20節
 そこで、ユダヤ人たちは行った。
 「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。
あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
 
使徒の働き 7章
 47節 けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした。
 48節 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。
     預言者が語っているとおりです。
 49節 『主は言われる。
     天はわたしの王座、
     地はわたしの足の足台である。
     あなたがたは、どのような家を
     わたしのために建てようとするのか。
     わたしの休む所は、どこか。
 50節 わたしの手が、これらのものを
     みな、作ったのではないか。』
 
教会とは・・・
 
1.キリストを頂点とした霊的な組織
 各々のクリスチャンに賜物を与え、果たすべき役割、責任を与えておられるのです。
 賜物、役割、責任に優劣はありません。
 
2.キリストを中心とした交わり(共同体)である家族(Ⅰテモテ3:14、15)
  真実な交わり
 ・へりくだる・・・Ⅰペテロ5:5、6
 ・さばくな・・・・ローマ14:4、10、13、ルカ6:37、41、42
 ・互いに思いあう・・・コロサイ3:12~14
 ・互いにつまずかせない・・・ローマ14:13
 ・ねたまない・・・ピリピ1:15、詩編37:1
 ・兄弟愛・・・・・Ⅰヨハネ3:16~18、Ⅰコリント13:4~7
 
3.キリストが土台・基礎(エペソ4:16)
 教会は、キリストを土台とし、その上に建てられています。
 揺らぐ事がない土台です。
 
テモテへの手紙 第Ⅰ 3章
 14節 私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。
 15節 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、
あなたが知っておくためです。
     神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、心理の柱また土台です。
 
ペテロの手紙 第Ⅰ 5章
 5節 同じように、若い人たちよ。
    長老たちに従いなさい。
    みな互いに謙遜を身に着けなさい。
    神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
 6節 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下のへりくだりなさい。
    神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
 
ローマ人への手紙 14章
 4節 あなたがいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。
    しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。
    このしもべは立つのです。
    なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
10節 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。
    また、自分の兄弟を侮るのですか。
    私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
13節 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。
    いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、
つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
 
ルカの福音書 6章
 37節 さばいてはいけません。
    そうすれば、自分もさばかれません。
    人を罪に定めてはいけません。
    そうすれば、自分も罪に定められません。
    赦しなさい。
    そうすれば、自分も許されます。
 41節 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、
     どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
 42節 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、
     『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』
     と言えますか。
     偽善者たち。
     まず自分の目から梁を取りのけなさい。
     そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、
     取りのけることができるのです。
 
コロサイ人への手紙 3章
 12節 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、
     あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
 13節 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、
     互いに赦し合いなさい。
     主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも
     そうしなさい。
 14節 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。
     愛は結びの帯として完全なものです。
 
ピリピ人への手紙 1章
 15節 人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、
善意をもってする者もいます。
 
詩篇 37篇
 1節 悪を行なう者に対して腹を立てるな。
    不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
 
ヨハネの手紙 第Ⅰ 3章
 16節 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。
     それによって私たちに愛がわかったのです。
     ですから、私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきなのです。
 17節 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、
     あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛が
     とどまっているでしょう。
 18節 子どもたちよ。
     私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、
     行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
 
コリント人への手紙 第Ⅰ 13章
 4節 愛は寛容であり、愛は親切です。
    また人をねたみません。
    愛は自慢せず、高慢になりません。
 5節 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
    怒らず、人のした悪を思わず、
 6節 不正を喜ばずに真理を喜びます。
 7節 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
    すべてを耐え忍びます。
 
エペソ人への手紙 4章
 16節 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量に
     ふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、
     しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。