必ず報いてくださる神

詩篇126篇の表題”都上りの歌”(詩編120~134篇)。

これらの詩篇が生まれた年代や起源は分かりませんが、ユダヤ人の暦にある3大祭を祝う為、エルサレムに上る礼拝者によって、よく用いられた歌である事は確かです。
 
詩篇 126篇    都上りの歌
 
1節 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、
   私たちは夢を見ている者のようであった。
2節 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
   私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
   そのとき、国々の間で、人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなされた。」
3節 主は私たちのために大いなることをなされ、
   私たちは喜んだ。
4節 主よ。ネゲブの流れのように、
   私たちの捕われ人を帰らせてください。
5節 涙とともに種を蒔く者は、
   喜び叫びながら刈り取ろう。
6節 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
   束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
 
この詩篇 126篇は、ユダヤ人が70年間のバビロニヤ捕囚から神の国シオン(エルサレム)に帰ってきた直後につくられた歌のようです。
昔も今もユダヤ人にとって、カナンの地は永遠の祖国、シオンは永遠の都であって、彼らの祖国を思う愛国心は凄いものです。
2世紀に海岸に離散し、祖国を失ったユダヤ人が、20世紀に建国した程です。
当時ペルシャが世界帝国を造っていましたが、ペルシャの穏健なクロス王の勅令により、ユダヤ人はバビロンから祖国へと帰還する事が許されました。
そして、ユダヤ人達は喜び勇みつつ、故郷を目指して帰って行ったのです。
人々は1000~2000kmという長い道のりを、シオンへの思いを持って、帰っていったのです。(1節)
 
さて、1節と4節は少々矛盾するように思われます。
1節では捕囚から帰還したのに、4節では囚われ人を帰らせてくださいと祈りを奉げています。
これはどういう事でしょうか。
捕囚からの帰還が、何回も行われ、しかも何年、何十年と続いた事を思えば、まだ帰還していない同胞へのとりなしの祈りと考える事が出来ます。
私達も自分が祝福を受ければそれで良い、自分さえ良ければそれで良いという者ではなく、まだ主の祝福が与えられていない、苦しみ、困っている人々の事を覚えてその人の為にとりなしを奉げるべきなのです。
 
エルサレム帰還への喜びも束の間でした。
彼らは喜んでばかりはいられません。
まず食べるものがなく、貧困の中で、生活を送り、毎日の食べ物さえやっとの状態でした。
帰還後、すぐにすべき事は、畑を耕す事でした。
木のくわや棒で耕し、次に、種をまくのです。
戦争で荒れ果てたのうちを耕す事は容易ではなく、さらに70年間放置しておいた畑が果たして種をまいても実を結ぶかどうか不安だったのです。(5~6節)
しかし、ユダヤの信仰深い人々は、神は約束に従って必ず報いてくださる憐み深い方である事を信じていました。
神の約束・・・申命記11章
 13節 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、
     あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、
     主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、
 14節 「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、
先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と
新しいぶどう酒と油を集めよう。
 
彼らは涙を流しながら種をまいたのです。
自分達の不信仰に、このようにバビロン捕囚で土地が荒れ果ててしまった事を嘆いていたのです。
この詩篇には、バビロン捕囚と土地の荒廃という悲哀のテーマも流れていますが、それ以上に喜びと希望も含まれています。
 
1 どんな状況でも、神に向く時には希望と喜びがある事を私達に教えているのです。
 
私達クリスチャンの特質は・・・その一つは喜びです。(ガラテヤ5:22)
喜びとは、救いの結果湧き上がってくるものです。(Ⅰペテロ1:6~8)
 
ガラテヤ人への手紙 5章 22節
 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
 
ペテロの手紙 第Ⅰ 1章
 6節 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。
    いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、
    悲しまなければならないのですが、
 7節 信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも
尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに
    称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
 8節 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、
    いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、
    栄えに満ちた喜びにおどっています。
 
この救いの喜びは、誰も何も奪い取る事が出来ず、どんな状況にも左右されないものなのです。
 
たとえ逆境の中でもです。
迫害の中でも・・・使徒5:41
試練の中でも・・・Ⅰペテロ4:13
 
使徒の働き 5章 41節
 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者と
 されたことを喜びながら、議会から出て行った。
 
ペテロの手紙 第Ⅰ 4章 13節
 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。
 それは、キリストの栄光が現われるときにも、
 喜びおどる者となるためです。 
 
2 神は必ず報いてくださる方です。
種まき・・・これは、神のことばです。
 
マタイの福音書 13章
 3節 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
    「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
 4節 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。
    すると鳥が来て食べてしまった。
 5節 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。
    土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
 6節 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
 7節 また、別の種はいばらの中に落ちたが、
    いばらが伸びて、ふさいでしまった。
 8節 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、
    あるものは三十倍の実を結んだ。
 9節 耳のある者は聞きなさい。」