ヨナ書 3章
1節 再びヨナに次のようなことばがあった。
2節 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
3節 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは行き巡るのに三日かかる
ほどの非常に大きな町であった。
4節 ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは
滅ぼされる。」と言った。
5節 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
6節 このことがニネベの王の耳にはいると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、
灰の中にすわった。
7節 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、
羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
8節 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、
暴虐な行ないとを悔い改めよ。
9節 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで
すむかもしれない。」
10節 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。
それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
神の御前から、またニネベへの宣教の使命から逃れられないと知ったヨナは、神の命令を再びいただき、ニネベへと向かいます。
まず、ニネベについて・・・
・”ニネベ”:アッシリヤ大帝国の首都
歴史:旧約聖書の創世記10:11、12にその名が記されています。
人口:4章11節に、右も左もわきまえない人間12万人とありますが・・・
文字通り、幼子12万人ととりますと、人口は50~60万人程と考えられます。
霊的、善悪の事をわきまえないと取りますと、神を知らない12万人とも考えられます。
ヨナがいた当時にそんな大きな町があったでしょうか。
例えば、近代17~18世紀、江戸(100万の人々)が、世界最大の都市といわれています。
紀元前にこれに近い程の大都市があったのでしょうか。
創世記 10章
11節 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
12節 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
ヨナ書 4章 11節
まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、
右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
ここで、”大きな町”ニネベという時に、アッシリヤ帝国の大都市(首都)で多くの人々を抱えていたという事以外で、原文では「主のために(主の前に)大きな町」と書いてあります。
これは、ただ単に大きいというだけではなく、神の大いなる憐みの対象になっているという事、神はその異邦の民が悪と暴虐を捨て、神に従って滅びる事のないように、という思いをもってニネベが愛と憐みの対象となっている事を示しています。
ニネベの規模は、”行き巡るのに3日かかるほど”→ニネベとその近郊も含む大きさだったものと思われます。
この事から、とにかく大きな町だった事がうかがえます。
再び下された神の命令・・・2節(1:2の繰り返し)
神のヨナへの憐みと同時にヨナへの期待が伺えます。
神がヨナに命じた事・・・それは「わたしがあなたに告げることば」「神のことばを伝えること」。
つまり、神のさばきのメッセージを伝える事です。
私達がクリスチャンとして果たすべき使命、それは自分の事を語る事でもなく、人間の教えやこの世での成功と語る事でもありません。
神のことば、救いの福音を語る事なのです。
永遠に変わらないもの、真実なもの・・・それは金・ダイヤモンドなどではなく、神のことばなのです。
ヨナは、この神のことばを携えて大都市ニネベに行きました。
さて、それでは、ヨナに託された神のことばは何でしょうか・・・。(4節)
ニネベの人々が聞きたくない言葉、つまり、ニネベが罪と悪の為に40日後に滅びるという事です。
しかし、ニネベの人々は、ヨナの語る神の言葉に心を傾けて聞きました。
これはヨナにとって予想外の事です。(6~9節)
ニネベの人々は、彼らのやり方で悔い改め努力しました。
人間は自分の力や努力によってではなく、神ご自身の憐みと権威によって罪を許されます。
罪の赦しは憐れんでくださる神によるものなのです。(箴言29:14~16)
しかし、だからといって、神は私達の努力を無駄にしたりはしないのです。
箴言 29章
14節 誠実をもって寄るべのない者をさばく王、その王座はとこしえまでも堅く立つ。
15節 むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。
16節 悪者がふえると、そむきの罪も増す。しかし正しい者は彼らの滅びを見る。