悪魔の試み2
ルカの福音書 4章
 
  1 節 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、 
  2 節 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
  3 節 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
4 節 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」
5 節 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
6 節 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されて
    いるので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
7 節 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
8 節 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
9 節 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子
    なら、ここから飛び降りなさい。
10節 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる。』とも、
11節 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる。』とも書いてある
    からです。」
12節 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」
13節 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
 
さて、前回の復習を簡単にしてみたいと思います。
悪魔はイエス様がキリスト(メシヤ)となる事を阻止する為近づきましたが、その“悪魔”とはどういうものか・・・
(1)一人格を持った霊的存在である。
(2)悪魔は人を誘惑する。
(3)悪魔はサタン=敵対するものである。(神と人に敵対し、神と人、人と人とを敵対させるもの)
(4)悪魔の手下として多くの悪霊がいる。
 
イエス様は40日間、固形物を何も食べず、荒野で神と交わりました。
精神も肉体もその疲労がピークに達していた時、悪魔は近づいてきて誘惑したのです。
 
3節 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
 
悪魔は空腹なイエス様の弱さにつけこんで誘惑してきています。
いつも悪魔は人の心の”隙”をついてくるのです。
私達が弱っている時、何かを欲しいと思っている時、苦しみの中から助けて欲しいと思っている時にサタンは誘惑してきます。
そういう時こそ、一番注意すべき時なのです。
 
この3節で悪魔がイエス様に言わんとする事は何でしょうか。
それは、表面的には、「石をパンに変えて飢えを満たせ」という当然の欲求のように見えますが、悪魔の魂胆はそんな単純なものではありません。
イエス様の心を真の使命から離れさせ、十字架を避けさせようとする誘惑だったのです。
つまり、サタンは「イエスよ、お前は神に従い、40日間断食しているが、お前はキリストなのだから、断食を止め、自分の力で石をパンに変えて、飢えを満たせ。人間に真に必要なものはパンなのだ」という事を認めさせようとしているのです。
イエス様は”御霊に導かれて”(1節)40日の断食をなさっていました。
それは神のみこころに従ってのものです。
イエス様が、水をブドウ酒に変える自分の力を用いて石をパンに変える事はとても簡単でした。
しかし、人を真に生かし、真に必要なものは、”神のことば”であることをよくご存じだったのです。(4節) 
 
申命記8章3節 
  それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを
  食べさせられた。
  それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたに
  わからせるためであった。
 
人の心に、人の生活に、また人生に最も必要なもの、それは神のことばです。
私達は、この神のみことばによって、神のみこころを知り、神に従うことが出来るのです。
この4節の、”人はパンだけで生きるのではなく”というみことばには、マタイ4:4では続けて”神の口から出る一つ一つのことばによる”と書いてあります。⇔これに対して、唯物論者や共産主義者は勝手に解釈してみことばだけでは生きられない、と反発しています。
しかし、イエス様はパンの必要を否定されたのではないのです。
パンか神のことばかという二者択一ではなく、「どちらが第一か、先か」という優先順位の事を言っておられたのです。
現にイエス様は主の祈りの中で、「私たちの日毎の糧をお与えください」と祈るように勧めておられ、また食物は神から与えられた清いもので感謝して食べるべき事を教えられました。
要は、私達人間にとって”生きていくうえで”一番必要なものは何かということなのです。
 
マタイ6章33節
  だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、
  これらのものはすべて与えられます。
 
「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓の事に仕えるのはよくありません。」(使徒の働き6章2節)とあるように、神のことばこそが、あなたの毎日の生活の中で最も必要であり第一にされ、生活の隅々にまで浸透していく時に真の幸せが心を満たすのです。
神のことばこそすべての人に一番必要なのです。
 
次なるサタンの誘惑は・・・
5 節 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
6 節 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。
    それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
7 節 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
 
サタンは神の制限の中で、この世の流れを支配し、空中の権威をもっています。
 
エペソ人への手紙 2章
1節 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2節 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として
   今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
 
一方、人は誰でも、人より偉くなりたい、人の上につきたいという欲求を持っています。
サタンはそういうところをついてきました。
イエス様にとって神の国を実現する事は、その使命とするところでした。
サタンは今すぐイエス様にその国をあげようと言ったのです。
ただし、サタンを拝むならばという一つの条件付きでした。
イエス様は十字架の苦しみを通らないで御国を建設できたらどんなに素晴らしいと思った事でしょう。
しかし、神のみこころは、この世の国をつくることではなく、死と滅びに打ち勝った霊の国をつくることでした。
悪魔を拝み悪魔の王国をつくるなどもってのほかです。
そこには、力による圧制と支配、人を動かし、上にたつ者はいばる国、信頼関係などありません。
イエス様はこう言われています。
「人の上にたちたいと思う者は皆に仕えるもののようでありなさい。」と。
そこには神の愛による支配があり、主従の信頼関係があります。
 
    8 節 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
 
最後の誘惑・・・
9  節 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。
    「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
10節 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる。』とも、
11節 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる。』
    とも書いてあるからです。」
 
 
サタンはみことばを引用してきました。
イエス様がみことばを引用したのでそれに対抗しようとしたのです。
 
メシヤ(キリスト)になる為の早道の誘惑→神殿の頂き→飛び降りる→無傷→人々が驚く
 
人々はイエス様をスーパーマン・スターとして崇めるでしょう。
サタンは詩編91:11、12から聖書を巧妙に引用してきたのです。
しかし読み比べてみると、(ルカ4:10、11と詩編91:11,12)では〈すべての道で〉→全生涯において、という句が抜かれていることがわかります。
 
ルカの福音書 4章
10節 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる。』とも、
11節 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる。』
    とも書いてあるからです。」
 
詩篇 91篇
 11節 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
 12節 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が、石に打ち当たることのないようにする。
 
この事からサタンの勝手な引用である事が分かります。
このように、私たちは神のことばを綿密に注意深く読むべきです。
イエス様はサタンの引用の動機が誤っている事を知っているので
 
12節 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」
 
もし、イエス様が神殿の頂から飛び降りて無傷でいたら、人々はイエス様を崇めるでしょう。
しかし、その時は神の奇跡、神の力としてイエス様を信じるかもしれませんが、やがて人々はその興奮から冷め、再び奇跡を、神の子である確証を求め続ける事でしょう。
 
私達の神への信頼というものは目で見て起こる(肉眼でみる)信頼ではなく、人格的信頼です。
何があろうと何が起ころうと、とにかく全面的に神に信頼する事なのです。
 
さて、最後にこの荒野の試みでイエス様とサタンとの戦いで知る事をまとめましょう。
(1)みことばは、サタンと戦う最大の武器
エペソ人への手紙6章17節
 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
(2)みことばを正しく暗記して活用する事
(3)みことばは正しく用いること、文脈を無視したり、適当に繋ぎ合せたりしてはだめ、私的解釈もダメ
 
皆さんも、これらの事をふまえてみことばに親しみましょう。