クレネ人シモン

 

マルコ1521

そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

 

イエス様はご自分の時を知っておられました。

十字架前夜にはゲッセマネの園に弟子達を連れて行き、汗と涙が激しくしたたり落ちる程全心全霊精魂かたむけて祈られたのです。

 

へブル人への手紙 57

 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入られました。

 

祈りが終わるやいなや、ユダの裏切りによりユダヤ・サンヘドリン議会に引き渡され、真夜中の裁判で立たされ侮辱され殴られ有罪とされ、ローマ総督ポンテオ・ピラトやヘロデ王のところに連れ回されたのです。

ポンテオ・ピラトはユダヤ人を恐れていました。

なぜなら、ユダヤの暴動や問題が起きて、ユダヤ人の意志に背く判決をした場合、クビになる可能性があったからです。

彼はイエスの無罪を知りつつ良心の声、また自分の妻の忠告に聞き従わずに、イエスをむち打ち、死刑にする為、部下の兵士に渡しました。

イエス様にとって何と辛く苦しい時だったことでしょう。

イエス様の生涯で、この時程、人の罪と残虐性を身をもって体験された時は他になかった事でしょう。

イエス様は心身共に疲れきり、パンクしそうでした。

そういうイエス様を見ても、ローマ兵は情け容赦なく重い木の十字架を刑場ゴルゴタまで運ばせたのです。

ゴルゴタへの道はイエス様も普段よく歩かれた悲しみの道(ドロローサ)でした。

しかし、この時は何と遠くに思われた事でしょう。

田舎大工のイエス様にとって材木運びは手慣れたものだったのに、十字架は肩にくいこみ、何と重く感じられたことでしょう。

 

ヨハネの福音書 3

 14節 モーセが荒野で蛇を上げたように、

        人の子もまた上げられなければなりません。

 15節 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

 16節 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

        それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを

        持つためである。

 

イエス様は神の愛永遠のいのちを十字架で表す為、人々の罵倒と嘲笑の中を重い十字架を背負い、ドロローサを歩まれたのです。

今日、狭い石の坂道ドロローサを歩くクリスチャンの多くはイエス様を思い涙するそうです。

イエス様は何度も何度も倒れ力尽きそうになりました。

ローマの兵隊はイエス様が自力で運べないと見るやいなや、丁度そこを通りかかったクレネ人シモンを掴み、無理矢理力づくでイエス様の十字架を背負わせたのです。

シモンはクレネ人、北アフリカのリビヤ出身で過越の祭りを祝う為にリビヤの片田舎からエルサレムに巡礼に出てきていた改宗者でした。

そしてたまたまそこを通りかかった行きずりの旅人だったのです。

シモンにとっては迷惑極まりない事だったでしょう。

無報酬で、重く、縁起でもない死刑囚の十字架を背負うなんて・・・彼はその時そのような事を思ったかもしれません。

私達にも時として降って湧いたように頼まれる仕事や、少し気が進まないのに任される奉仕など多々あるかもしれません。

そして、私たちに不利益を被るかに思われる時がある事でしょう。

しかし、どんなに苦しく、辛い事であっても、イエス様の十字架を背負っていけるという事は何という特権でしょう。

シモンがイエス様の十字架を負わされた経験は後に彼の人生に、また彼の家族に大きな祝福と証しをもたらす出来事でした。

シモンにとってイエス様の十字架を背負ったということは、主の十字架の救いのお手伝いをする事が出来たという事です。

何と恐れ多く光栄な奉仕だった事でしょう。

 

イエス様の十字架を負ったクレネ人シモンについては、マタイ・マルコ・ルカが記録しています。

特にマルコは、アレキサンデルとルポスの父、クレネ人シモンと記しています。

そして、十字架の後2030年して書き記されたマルコやマタイ、ルカの福音書が各教会に行き渡る時に、当時、良く知られた有名なクリスチャンホームであったことを伺い知る事ができます。

後に、このシモンは、アンテオケ教会の長老の一人として、使徒131に顔を出しています。

パウロやバルナバを伝道旅行に送った有名なクリスチャンでした。

 

使徒の働き 131

 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。

 

また、パウロはシモンの家族とも親しく、特にアンテオケでは家族ぐるみでシモン一家にお世話になりました。

ローマ人への手紙で、パウロは次のように書き送っています。

 

 ローマ人への手紙 1613

  主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。

 

そう選ばれた人シモン=ルポスです。

シモンは通りすがりにイエス様の十字架を担がされて偶然のように思われましたが、実にそういう形で選ばれて後に主イエスの救いを信じたのです。

ここに、神の選びの不思議さを思います。

 

また私たちはキリストの十字架の重荷を様々な形で負わされる事もあるでしょう。

キリストの為に払わなければならない犠牲や重荷、苦しみさえもあるかもしれません。

しかし、すべては無益、無駄どころか、多くの祝福をもたらすものなのです。

 

コリント人への手紙 第Ⅰ 1558

 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 

クレネ人シモン

マルコ1521によれば、アレキサンデルとルポスの父となっています。

 

マタイの福音書 2732

 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。

 

ルカの福音書 2326

 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。

 

このシモンが、アンテオケ教会の指導者の一人です。

 

「ニゲルとよばれるシメオン」であり(使徒131)、ローマ1613のルポスがシモンの子ルポスであるなら同じ箇所でパウロが「彼(ルポス)と私との母によろしく」とのべていることが容易に理解できる。というのも、アンテオケでパウロはクレネ人シモンとみるルポスの家に泊まって世話になったという推測ができるからである。~新聖書辞典~