地の人と天の人

マタイの福音書11章1節~6節

 1節 イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりする
           ため、そこを立ち去られた。
 2節 さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、
 3節 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、
           私たちは別の方を待つべきでしょうか。」
 4節 イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに
           報告しなさい。
 5節 盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、
           貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。
 6節 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
 
バプテスマのヨハネは、ガリラヤの国王ヘロデが離縁し、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤを略奪婚で奪ったので、聖書の律法に違反しているという事で、酷く非難しヘロデに捕えられて投獄されていました。
それでヨハネには十分な情報は入ってきませんでした。
ナザレのイエスこそが来たるべきメシヤ(キリスト)であると、人々に指し示し、多くの人をキリストに導いたヨハネですが、閉ざされた牢獄の中での情報は制限され、十分ではなかったのです。
ヨハネは自分の弟子が時々訪ねて来てもたらす情報もしくは噂で、イエス様が「火によるバプテスマ」を人々に授けている様には見えませんでした。
ヨハネは、イエス様が本当にメシヤかどうか徐々に疑問に思うようになってきたのです。
それでヨハネはメッセージを弟子たちに託してイエス様に言い送ったのです。(11:3)
「おいでになるはずの方」とは、モーセやダビデ・数々の預言者、イザヤ・エレミヤ等によって預言されていた方、救済者の事です。
ヨハネにとってメシヤとはどんなイメージだったのでしょう。
 
マタイの福音書3章
7節 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、
        ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。 
10節 斧もすでに木の根元に置かれています。だから良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、
          火に投げ込まれます。
11節 私は、あなたがたが悔い改めるために。水のバプテスマを授けていますが、
          私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。
          私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。
          その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。
12節 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀城をすみずみまできよめられます。
          麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽されます。」
 
ヨハネのメシヤ像は、正しい審きを行う力強いメシヤ、義なるメシヤ、主権者として審く審判者のイメージが強かったようです。
ヨハネは、神の審きの緊急性を人々に語り、悔い改めに導いたのですが、勿論、これは正しい事です。
ヨハネはすぐにでも神の正義が行われる事を確信していました。
神の正しい審判、そしてその緊急性を語る事は大切です。
今の時代、キリスト教会は神の愛は多く語っても、神の審判については語らなくなってきています。
世の人に受け入れられる為のキリスト教、迎合主義に陥っているのです。
戦後、日本にキリスト教が入ってきて、この神の審きについて多くを語り、再臨について備えよとのメッセージのリバウンドでしょうか。
神の最後の審判を語るというメッセージは激減しています。
日本キリスト教団、バプテスト連盟の多くの教会が語りません。
 
ヨハネの、イエスがメシヤかという心に湧きあがった疑いは、ヨハネの弟子たちによってイエス様にもたらされました。
イエス様の答えは11章4節~5節にあります。
イエス様は、このヨハネの間違った捕え方を正すべく、具体的に「盲人が見、足なえ(※足の不自由な人)が歩き、らい病人(※ツァラート)がきよめられ、耳のきこえない人がきこえ、死人が生き返り、貧しい人には福音が宣べ伝えられている」と言われました。
これは下記の箇所の引用です。
 
イザヤ書35章
5節 そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者(※耳の不自由な人)は耳をあけられる。
6節 そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おし(※言葉の不自由な人)の舌は喜び歌う。
        荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。
 
61章1節
 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、
  心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
 
イエス・キリストは死人さえ生き返らせていること、また貧しい人々に良い知らせ(福音)を語っているのをヨハネに伝えました。
ヨハネは、イエス様についての情報だけではなく、ヨハネの信仰的価値観・期待感とイエス様のメシヤの度量の大きさ・深さ・広さを十分知らなかったので、理解できずに苦しみ、疑い、躓いたのです。
私たちも信仰という時に一つの側面のみを強調したり、あまりにもこだわりすぎると同様な誤りに陥り、躓いてしまいます。
イエス・キリストのメシヤとしての働きは、神の義によって人々を審判するだけではなく、その前に、人々に神の国の福音をつたえ、神のめぐみをこの世の人々、この世界に溢れさせる事だったのです。
ヨハネは、正義感が強かったあまり、この神の愛・めぐみの大きな働きを見落としていました。
 
イエス様は、「わたしに躓かない者は幸いです。」と言いました。
ヨハネは、人類最大の人とイエス様に言われた人です。(マタイ11:11 まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。)
人類最大の人ヨハネ、地上の人の誰よりも優れたヨハネ・・・人々に神の知恵を教え、メシヤ・イエス・キリストを指し示したという点で、最も重要な働きをしたのです。
しかし、11:11に天国の一番小さい者でもヨハネより偉大といわれています。
「地の人と天の人」との違いはそれ程大きいのです。
 
ヨハネの福音書3章
12節 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、
         どうして信じるでしょう。
13節 だれも天に上った者はいません。しかし天から下ったものはいます。すなわち人の子です。
 
ヨハネの福音書8章
38節 わたしは父のもとで見たことを話しています。ところが、あなたがたは、
          あなたがたの父から示されたことを行うのです。」
 
神の啓示・天の御国の教えは、この地上の現時点での理屈では分かりません。
歴史と時代は流れています。
御国の福音は一部、現在だけの一つの時で捉えるものではありません。
神のご計画の中で、徐々に進んでいるのです。
神の御国の福音は広範囲に渡って展開されています。
しかし、やがて歴史の幕が閉じ、ヨハネの言うように最後の審判がやってきます。
今、私たちはこの最後の事を心に据えつつ、現在を福音の為に生きていくことが大切です。