12弟子の選び
マタイの福音書 10章
 1節 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。
             霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。
 2節 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
     ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
 3節 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
 4節 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
 
今日は、イエス・キリストによって選ばれた12人の弟子のことについて見ていきます。
 
“弟子”という言葉は、本来、学ぶ者、師から教えを受ける者という意味です。
昔、ギリシャの有名な哲学者は弟子を持っていました。
ソクラテスのプラトン・アリストテレスはご存知でしょう。
ユダヤでも律法学者は弟子を持っており、師弟関係が教育で用いられていたのです。
師に四六時中ついて師に学ぶという事で、日本語としてはでっち奉行の”でっち”が最も良く当てはまります。(呉服問屋のでっちさんは番頭さんから手取り足とり習いいろいりと仕事を覚えていく)
バプテスマのヨハネにも多くの弟子がいて、ペテロ・アンデレもその中の一人でした。
イエス・キリストには多くの人が付き従っていたのですが、その中の70人が宣教の使徒に選ばれ、更に12人が弟子・使徒として選ばれ派遣されました。
この12人の弟子たちは、主イエスが直接名指して選んだ人々です。
本人たちにしたら、非常に光栄なことだったでしょう。
 
この12人のメンバーは、さぞかし優秀な人々と思う事でしょうが、ガリラヤの漁師が3分の1程、他は取税人、熱心党員(いわゆる右翼)と、職種も様々で、学者や律法学者等とは程遠い人達でした。
どういう基準でイエス様は12人を選んだかは全く不明です。
神様の選びについては、全く分からない事もありますが、パウロは後に「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷にない者にしようとされました。」(エペソ1:4)と神の権威が私たちに先行していたことをはっきりと書いています。
一方、選ばれていない人々もいるとは聖書には書いていません。
私たちが高慢にならないようにむしろ、弱さ、愚かさゆえに選ばれたということを聖書は伝えています。
もっと正確に言うと、弱さ、愚かさ、罪人である事に気づき、悔い改めて神に帰る人々が神に選ばれた人々だという事です。
逆に選ばれてない人という言い方があるとすれば、その人は選ばれたいとも思っていない人です。
12人の主の弟子たちも、イエス様が一方的に目をとめて選ばれました。
何故このリストにイスカリオテのユダが入っているのかは分かりませんが、主に従っている時は、とても良き働きをしていたのでしょう。
ユダは主イエスの会計係をしていたので、頭の回転の早い賢い人だったと思います。
 
熱心党員シモンという人もいます。
この熱心党はユダヤ教の中でも特に排他的な右翼でした。
この人々には、唯一の神ヤハウェーに熱心という事で、このような名前がつきました。
他の宗教を排他するとともに、神の力による政治的な独立の為に戦った人々です。
紀元6年、ガリラヤでユダの反乱があり、ローマと戦いましたが敗れました。
使徒5:37で律法学者ガマリエルがこの事を語っています。
 
使徒の働き5章37節
 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、
 自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
 
熱心党は、宗教的・政治的に神に熱心である余り、暴力的・破壊的で、絶えず争っていました。
仲間同士でも少々意見を違えると分裂し、暴力沙汰になる事もあったのです。
この熱心党シモンもそのエネルギーを活動に費やしてきたのでしょう。
しかし、その事に疑問を抱いて、主イエスに付き従ったと考えられます。
 
マタイについて、取税人マタイと言っています。
イエス様とマタイとの出会いは、旅の途中、イエス様が取税所を通りかかった時に遡ります。
 
マルコの福音書 2章14節
 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
 
イエス様は直接レビ(マタイ)を呼ばれたのです。
私達は時として、人に会う時、その姿、恰好、表情を見て、その人の人生、生き方についてある程度分かる事がありますが、イエス様はレビが収税所に座り、税の取り立てをしているのを見て、その鋭い洞察力でレビの心の中を見通されたのでしょう。
イエス様にはそれが出来たのです。
レビ(マタイ)はどうして、こうもすぐに主イエスに従う事が出来たのでしょう。
偶然でしょうか。
マタイは取税人でした。
ローマの収税官の下で働き、同国人から通行料・貨物・物品に一定の税金をかけて収入を得ていた請負業です。
自由気ままに多額の税金を取り立て、不当の利を貪っていました。
同国のユダヤ人からは、最低の輩と言われ、犯罪者・遊女と同列に置かれた程嫌悪されていたのです。
マタイは多少汚い事をやって手を汚しても、金が手に入れば楽な生活も出来るし、平安に、幸せになれると思っていたのかもしれません。
しかし、富を手にしても、平安や幸せはなく、人々からは嫌われ、良心は痛み、親しい仲間・友人もなく、孤独と暗闇が彼を包んだ事でしょう。
機械の様に働き時間だけが過ぎていったのです。
ただいつかは分かりませんが、ナザレのイエスの話を何度か聞き、心に感動を覚えたと思います。
しかし仕事は放棄出来ません。
その時に丁度イエス様がそこを通りかかり、直接声をかけて招かれたのです。
マタイはイエス様の「わたしについて来なさい。」という愛の言葉に、孤独と心の空白を埋められました。
仕事を辞め、仕事から解放され、心に喜びが溢れて来た事でしょう。
救われた喜びを隠しておけなかったレビ(マタイ)は、自分の家に人々を招きパーティーをしました。
そこに来た人々は、仲間、また罪人と言われる人々でした。
“私が救われたのは次に人が救われる為、隣人に救いが及ぶ為です。”
そしてこのレビ(マタイ)のパーティーでの主役はイエス様でした。
レビ(マタイ)は、人々にイエス様を紹介し、その仲間、罪人も主イエスに従ったのです。(マルコ2:15)
 
マルコの福音書 2章15節
 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、
 イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
 
一方、パリサイ人や律法学者は、イエス様を批判しました。
イエス様は、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と、パリサイ人たちに皮肉を言われました。
聖書は、「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)と言っています。
それを知っていながら、悟らなかった、悔い改めなかった人は皆同じ罪人なのです。
しかし、そうだとしても罪人として眠っているか、目覚めているかで違います。
 
イエス様はこの取税人レビに新しい名前を与えられました。
それがマタイです。
マタイとは賜物(神からの贈り物)という意味です。
マタイは取税人として帳簿をローマ用・ユダヤ用と二つつけていました。
しかし、その罪を悔い改めて、きっぱりと止め、イエス様に着いて行った時、マタイには、物書きの才能が与えられていた事が分かったのです。
マタイはイエス様の事を人々に紹介する為に、多くの人々の要請で、キリストの言葉を書きました。
それがマタイの福音書です。
どんな才能も、キリストによらなければ、人間的なものにしか過ぎません。
キリストの為にペンをとったマタイは、その才能を開花させ、マタイの福音書を書き、人々に証ししました。
マタイは、自分がどのような者であったのか、どのような状況から救われたのか、かつての自分を決して忘れませんでした。
マタイは自ら記した福音書の中で、取税人レビ(マタイ)が救われた罪人である事を人々に明かし、またそれを恥とせず、古い肩書きをつけていたのです。