ヨエル書 2章
28節 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29節 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
30節 わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。
31節 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
32節 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。
主が仰せられるように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。
その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
さて、旧約聖書のヨエル書は、ペンテコステの日、ペテロがその預言の成就として引用した事から、特に注目されています。
ヨエルという人物については、旧約聖書に13名出ており、ペトエルの子というだけで詳しい事は分かっていません。
いつ頃の預言者かも全く分かりません。
名前の“ヨエル”は”ヤハウェは神である”という1つの信仰告白の名前です。
ヨエル書の使信は、ユダ(イスラエル)に恐るべきイナゴの大襲来があった事、大災害で打たれた事が神様の審判の予兆・予表であると人々に語り、神を本気で信じる事、悔い改めて神に返る事を強く薦めています。
また、「主の名を呼ぶ全ての者が審かれず救われる事、一方不信仰な者には、神の審きが国家的規模で臨む事」を語っています。
ヨエルは、時と永遠という捉え方で全てを見ていて、ヨエル書は今起こっている現実を予言的事実と終末的観念から見ている非常に壮大な絵巻の様です。
ヨエル書の最大の特徴は、全ての人に神の霊が注がれるという預言です。
これは、特定の人々に聖霊がくだった旧約聖書時代とは違い、新しい時代がやってくると、聖霊は性別・年齢・身分・職業に全く関係なく神を信じる者全てに注がれるという、画期的なものでした。
メシヤ時代、新しい時代、終わりの時代のしるしなのです。
新約聖書、キリストの時代、聖霊はまず、イエス・キリストの洗礼式で天が開けて鳩の様に降ってきています。(マタイ3:16 ヨハネ1:32)
マタイ3章16節 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。
すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、
自分の上に来られるのをご覧になった。
ヨハネ1章32節 またヨハネは証言して言った。
「御霊が鳩のように下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
父・み子・み霊の三位一体の神の1つの位格で、み霊は人と心に最も深く入って下さる方です。
人の様々な思いの中に自由に働かれるのが聖霊です。
人に知恵を与え、人を教え、矯正し、悟りを与え、また傷付いた心・病んだ心に癒しを与えて下さいます。
人を励まし、慰め、いたわってくださるのです。
聖霊の働きは、人に深く関り、多岐にわたっています。
キリストが聖霊を送って下さるという約束されてから、天に返り、キリストの弟子達は、その約束を待ち望み、エルサレムを離れないで、とどまっていました。
その時、突然、突風の様なものが地響きとともに起こり、火の様に赤いものが舌の形をして人々の上に下ったのです。
すると弟子達は、それまで話した事のない様々な言語で話し始めました。
これが、ペンテコステの奇蹟です。
ヨエルの預言が成就した瞬間でした。
新しい時代の幕開け、終末の時代が始まったのです。
ヨエルの預言は、メシヤの到来と、その後、天変地異が起こるという全ての時代を含んでいます。
今日また太陽・月に異変は見えないので、この時代も含まれている・・・つまり、終末の時代の真っ只中に私達はいるのです。
キリストは、
「この天地は滅び去ります。しかしわたしのことばは決して滅びることがありません。」
(マタイ24章35節)
と言われて、この地球が永遠の存在ではない事を語られました。
キリストはご自身の言葉にこそ、永遠があり、決してキリストの言葉、約束は滅びる事はないと言われました。
私達が、常にいつも信頼できるのは、神の言葉なのです。
全ては去っていきますが、キリストの言葉・約束は永遠なのです。
今日、エコブームでエコエコと言っています。
地球は確かにCO2の排出で温暖化、温室化しています。
昔、地球も宇宙も永遠に続くのではないかと思っていました。
しかし、オゾンホールの破壊、大気汚染、酸性雨という人工の災害、人が便利さ、快適さを手に入れた代わりに様々な問題が地球規模で生じてきました。
更に地震・噴火・台風の襲来などの自然災害、また人口の増加。
私たちの住む地球は、内外とも病んで、痛んでいるのが現状です。
神が造られたこの地球を、(私達が)守っていく事はとても大切です。
しかし、一方で聖書は、地球の時代から、次の時代へのtransfer(のりかえ)がある事も教えています。
イザヤ・ゼカリヤ・ヨハネが語った永遠の平和・喜び・不死・不老・悲しみ・苦しみの無い次の世界がやってくる事を告げているのです。
終わりの日の始まりはペンテコステのこの聖霊が注がれた事により、開始されました。
聖書の時代は恵みの時代とも言われます。
終末の時代、ますます悪の力が栄える事でしょう。
しかしまた悪の力が強くなればなる程、神の恵みもまた私達を守り、覆ってくださるのです。
そんな状況でも、神様は聖霊を私達に与えてくださっているので平安でいられるのです。
ヨエルの預言をペテロは受け継いで次の様に語っています。
ペテロの手紙 第Ⅱ
3章9節 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるの
ではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとり
でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
10節 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響をたてて
消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
11節 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、ど
れほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
12節 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりませ
ん。その日がくれば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼けて溶けてしまい
ます。
13節 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んで
います。
14節 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたです
から、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。