^ 「肩書きのシモン」
「肩書きのシモン」
 

マタイの福音書 10章

3節
ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

4節
熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

マルコの福音書 3章

16節
こうしてイエスは十二弟子を任命された。
そして、シモンにはペテロという名をつけ、

17節
ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、
このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。

18節
次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、
タダイ、熱心党員シモン、

19節
イスカリオテ・ユダ。
このユダが、イエスを裏切ったのである。



イエス・キリストは訣別説教で、天の父に祈りこう言われました。
「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、 悪い者から守ってくださることです。
わたしがこの世の者でないように、彼らもこの世の者ではありません。」(ヨハネ17章15〜16節)
当時弟子たちは、世にあって世の者ではないと言われ、二千年たった今生きている私たちも、 同様にこの世にあってこの世のものではなく、天国に国籍を持つ者です。
では、どんな信仰と信条をもって生きるべきか考えてみましょう。

熱心党という原語はカナナイオスとゼ−ロ−テ−スの二つがあります。
イエス様が熱心党のシモンを選ばれた背景はわかりませんが、 シモンは最後までイエス様について行ってますので正確には元熱心党という事でしょう。
熱心党は当時のユダヤ人の愛国主義者であり、サドカイ派・パリサイ派・エッセネ派に次ぐ第4の教派とされていたようです。
ただ実際ユダヤ教はかなり多くの教派があったとされていますし、亜流や異端とされていたものも多く存在していました。
(※因みに死海文書のクムラン教団は、今日では亜流の一派とされているようです。)
熱心党の源流は祭司アロンの孫ピネハスの時代にまで遡るとの事。(民数記25:7〜13)

民数記 25章

7節
祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取り、
8節
そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋にはいり、
イスラエル人とその女とをふたりとも、
腹を刺し通して殺した。
するとイスラエル人への神罰がやんだ。

9節
この神罰で死んだ者は、二万四千人であった。
10節
主はモーセに告げて仰せられた。
11節
「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、
わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。
わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。
12節
それゆえ、言え。
『見よ。わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。
13節
これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。
それは彼がおのれの神のためにねたみを表わし、イスラエル人の贖いをしたからである。』」

イスラエル民族は偶像礼拝に傾いてバビロン捕囚や離散がありましたが、 その中の少数派の人々にはヤハウェなる神への篤き信仰があったのです。
律法学者ガマリエルはユダの反乱について言及していますが(使徒5:37)、 それは紀元6年のロ−マ帝国の人口調査の時にユダが起こした反乱でした。
この人口調査の目的は税金を取るためのものであり、それはユダヤ人にとっては単に重税で苦しむというだけでなく、 異教徒のロ−マ人にお金を納めることが信仰的に問題だと感じたからでした。
ユダの反乱は未組織であったため、ロ−マに鎮圧され皆離散して行きました。
新約聖書の中にもイエス様がそんな質問を受けています。(マタイ22:17〜22)
イエス・キリストは「カイザルのものはカイザルに返し、神のものは神に返しなさい」と言って排除されました。
熱心党は、ユダヤのナショナリスト(国粋主義)であるので、 政治的・社会的な思想や信条をもつ活動が、時として過激で暴力的であり、激しいぶつかり合いが生じて屡々分裂をうみました。
70年のユダヤ戦争を前に分裂し滅んだと言われています。
信仰というより今日的なことばでは「イデオロギ−」(政治的・社会的思考形態)ではないかと思います。
資本主義や社会主義・共産主義などと同じでしょう。
宗教というよりもこの世の中での主義主張がその中心であり、死後の事にはあまり関心がないのではないかと思われます。
今日の共産主義はイデオロギ−であり、唯物論に立ち魂や霊の存在は認めません。
熱心党はこの世の改革に熱心でしたし、信仰的にヤハヴェこそ神である事を告白していたそうなので唯物論に立ってはいませんが、 やはりその活動は政治改革、社会変革なので信仰(一般的に宗教)というよりもイデオロギ−に属するのではないかと思います。

さて、熱心党のシモンはイエス様の弟子としての招きに応じたのですから、 それを引きずったままでイエス様について行ったのではない、と思います。
ついていった背景には、自分がいのちをかけて信じていたこの組織に何らかの限界か失望を覚えていたのかもしれません。
私の神学校の友人等クリスチャンの中には、もともと政治活動にのめりこんでいる人達がいました。
この方々の中には頭脳が優秀な方も多く、人間社会での様々な矛盾、 例えば貧富の差がある事、また差別や不平等がある事に彼らは我慢ができず、 自らの正義感をもって政治や社会を変えたいと純粋に考えていました。
それはそれで解ります。
極貧で苦しんでいる人の前で、 「あなたは、こころの呵責なくしてこの牛乳を飲めるか?!」 との彼らの主義・主張を聞いたことがあります。
性善説に立てばこの種のイデオロギ−も有効でしょう。
でも現実はそんなに単純ではありません。
たとえ多くの富や財政的基盤があって生活を十分サポ−トしたとしても、 必要な物を与えれば解決するほど単純ではなく、簡単ではありませんし謙虚でもありません。
現在のアメリカや日本の社会保証制度の現実を見るとそれが明らかです。
人間は悪を行うことに於いては、高い知能指数をもっているようです。
イデオロギ−ということばは、アイデア(idea:理想)から来ていると聞いています。
人間社会で理想を求めることは別に悪いわけではありませんが、 残念乍ら人間の中に原罪(罪の根)があり、すべての人が罪をもつ不完全な者であるとすれば (少なくとも聖書はそう教えています/詩篇14篇1〜3節、ロ−マ3章23節など) 人間が理想郷・桃源郷を創ることは不可能なのです。

詩篇 14篇

1節
愚か者は心の中で、
「神はいない。」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。
善を行なう者はいない。

2節
主は天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。

3節
彼らはみな、離れて行き、
だれもかれも腐り果てている。
善を行なう者はいない。ひとりもいない。


ローマ人への手紙 3章23節
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、


聖書はキリストの完全な贖いの完成:キリストの再臨こそが、理想郷である天の御国の完成であることを明確に伝えています。
因みに熱心党は、それぞれ自分の主義主張が正しいとして互いに分裂し滅亡しました。
どんなに理想を掲げても、結局自分が自分がというエゴ:醜い人間の罪が最大の妨げになっているのです。
共産主義に限らず、今日の資本主義国家(?)とされる日本に於いても権力闘争がどの分野においてもあり醜いものです。
様々なイデオロギ−で、聖書と相容れないものにキリスト者は立てません。
信仰そのものを問われるのです。
熱心党のシモンは、イエス様と3年半ともに過ごし様々な奇跡や癒しを目撃し、 みことばを聴き更に十字架と復活を見て体験したことで、まず自分の人生の変革の必要性を感じたことでしょう。
熱心党の敵はロ−マでしたが、本当の敵は世界の人々を惑わすサタンであることがわかったのでしょう。
今日においてもそれは変わりません。
多くのイデオロギ−は悪魔の存在を認めません。
それは或いはサタンの策略の一つなのかもしれません。
聖書は「この世の支配者」サタンについて明確に語っています(エペソ2:2、Tペテロ5:8)。


エペソ人への手紙 2章2節

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。


ペテロの手紙 第T 5章8節

身を慎み、目をさましていなさい。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。


さて、私達はイデオロギ−というものを広い分野で捉える時、様々なものがあるのではないかと思います。
聖書が教えている事の中心は信仰生活であり、また教会生活と福音の宣教である事がわかります。
初代教会時代からその使命やあり方は変わりませんが、世に関わって行く時、福音をより具体的に現していく事が求められていきます。
なので、個人倫理だけでなく社会倫理も必要です。
私達キリスト者が関わる社会の中の問題の救済について、関わって行く場合もあるかも知れません。
差別や人権の問題などです。
ただ、キリスト教会や教団の外のことについては、たとえ裁判になろうとも外の人たちに任せるとして、教団や教会の中での問題も多いものです。
私もいろいろと聞いています。
教会内の差別(人種や性別の問題など)や人権問題 (モラハラ、パワハラ、セクハラなど)、時に教会の問題が世に訴え裁判にさえなっています。
最近ではその話題が盛んに議論されているようです。
そして残念なことは、聖書のみことばが持ち出されてはいるもののみことばをあっさり否定したり 、歴史的信仰告白を時代遅れとしたり、 明らかに聖書から逸脱して議論されているのです。
世の中の文書ならばまだ信仰がないので分かるのですが、 キリスト教の洗礼を受け、上にたたされている指導部の方々が、 世の中での価値観・レベルでの議論をしているのです。
教会が世の中と同じ基準になりさがっているのです。
そして福音ではなく、そこに全力が注がれています。
キリストの宣教命令が無視されているのです。
その結果教会は縮小し、また教会の話題が霊的でなく世的になっています。

終末時にイエス・キリストは 「わたしが来るとき、果して地上に信仰が見られるでしょうか」と言われました。
終末時の教会やクリスチャンが「世的」になることが特徴のひとつとなるのです。
もしいまそんな状況であるならキリストが再臨したらどうなることでしょうか?
教会が救いを持たないとは何と悲しいことでしょう。
いま私たちの信仰のあり方が問われているのではないでしょうか。

現代神学は聖書を神のことばではなく、人のことばとしています。
もう一度永遠の神のことばとしての聖書に、みことばに聞くという事に戻るべきです。
信仰と相容れないイデオロギ−は関わるべきではありませんが、 すべてのイデオロギ−の活動形態がたとえ政治でも社会活動でも、国民として無関心では済まされないものも確かにあります。
世の中の人々への神の一般恩寵として働きかけることも必要です。
無関心は良くないのではないかと思います。
例え直接奉仕や協力ができなくても、何らかの形で関わることが可能です。
ただしそちらの活動が教会の働きの中心となることが多いので、あくまでも聖書の教えに留まりつつ祈りつつというのは不可欠ではないでしょうか。
教会として、あくまでも無理せず、また誰かに負担をかけずにすることが求められるのではないかと思います。

さて、熱心党シモンは使徒1章13節に「熱心党員シモン」として名前が挙がっています。
当然この時シモンはイエス様の弟子なので熱心党には属していなかったことでしょう。
シモン・ペテロと区別してそう呼ばれているのです。
イエス様がロ−マの手先取税人として働いていたマタイと反ロ−マの熱心党シモンをなぜ弟子に選んだのかは不明ですが、 本来なら犬猿の仲にあるはずですが3年半寝食を共にし同じ釜の飯を食べたということは、 イエス様をメシアとして信じる信仰で一致していたのでしょう。
私たちは屡々全く異なった背景で、教会の兄弟姉妹として神に礼拝をささげています。
どんなル−トで神に導かれようと、信仰こそ私たちの根底の魂を支える中心部なのです。
曾てどんな信条・思考形態で生きてきたとしても、いまがどうなのかが大切なのです。
いま自分の生活とこころの座に誰が座っておられるのかが重要です。
あなたの生活の歩みとこころの座には、イエス様が座っておられるでしょうか?
マタイとシモンの二人が弟子として名を連らねていることは素晴らしい証しではないかと思います。
どんな経歴や価値観で生きてきたとしてもキリストこそが二人の共通項なる方であり、交わりができたのです。
熱心党シモンのその後は聖書のどこにも書いてありません。
ヨハネ以外は殉教していますのでシモンも熱心党員としてでなく、キリストの福音にいのちをかけた使徒として殉教したのです。

              柳川聖書教会礼拝メッセ−ジ 牧師 浦邉健二 2020年7月