^ 「イエス・キリストの系図」
「旧約聖書と新約聖書を結ぶ蝶番」
 

マタイの福音書 1章

1節
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。

2節
アブラハムにイサクが生まれ、 イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、

3節
ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、 パレスにエスロンが生まれ、 エスロンにアラムが生まれ、

4節
アラムにアミナダブが生まれ、 アミナダブにナアソンが生まれ、 ナアソンにサルモンが生まれ、

5節
サルモンに、 ラハブによってボアズが生まれ、 ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、 オベデにエッサイが生まれ、

6節
エッサイにダビデ王が生まれた。
ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、

7節
ソロモンにレハベアムが生まれ、レハベアムにアビヤが生まれ、 アビヤにアサが生まれ、

8節
アサにヨサパテが生まれ、 ヨサパテにヨラムが生まれ、 ヨラムにウジヤが生まれ、

9節
ウジヤにヨタムが生まれ、 ヨタムにアハズが生まれ、 アハズにヒゼキヤが生まれ、

10節
ヒゼキヤにマナセが生まれ、 マナセにアモンが生まれ、 アモンにヨシヤが生まれ、

11節
ヨシヤに、 バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。

12節
バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、 サラテルにゾロバベルが生まれ、

13節
ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、 エリヤキムにアゾルが生まれ、

14節
アゾルにサドクが生まれ、 サドクにアキムが生まれ、 アキムにエリウデが生まれ、

15節
エリウデにエレアザルが生まれ、 エレアザルにマタンが生まれ、 マタンにヤコブが生まれ、

16節
ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。 キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。


17節
それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、 バビロン移住からキリストまでが十四代になる。




今日は、クリスマス礼拝です。
(※今回のメッセージは、2014年12月21日礼拝のものです。)
本来なら、キリストの誕生の物語を話すべきかもしれませんが、 それはクリスマスの夜に、マタイ1〜2章、ルカ1〜2章を ご自身で読まれて、イエス様が神が人としてこられた事、 あなたの為に愛のプレゼントとして、 父なる神様が送ってくださった事を、心で 受け止めて感謝の時としてください。

新約聖書の書き出しに、いきなり人の名前が延々と続いています。
これは系図です。
この数十人にもおよぶ名前の羅列は、 私達日本人(特に旧約聖書を知らない人々)には、少々 読むのがつらいページです。
ひたすらカタカナを読みつづけるのもつらいですが、 それ以上に全く知らない人々、分からない事をひたすら読むのは、 非常に苦痛です。
皆さんもなぜ新約聖書のはじめに系図なのかと思い、読むのを 飛ばしたり、ただ目で追うだけという事も多かったのではないでしょうか。

新約聖書はどこから読んだ方が良いのか、という質問がたまにあります。

「マルコ」から、「ルカ」から、時に「ヨハネ」からと答える牧師が多いでしょう。
私は相手によっては、そのように答える事がありますが、 新約聖書だと「マタイ」からと大体言っています。
マタイ→マルコ→ルカ→ヨハネと読み進めてくださいと勧める事も多いです。
でも本当に読む気のある人、聖書に興味がある、ねばり強い人の場合、 新約聖書ではなく、旧約聖書創世記からはじめてくださいと言います。
それは、旧約聖書を何度も読んで新約聖書に入る時に、 このキリストの系図の意味がやっと分かるからです。
この系図は、イエス・キリストの自己紹介であり、 この系図の中の四十数名の人々(その全ての人の 事は分かりませんが) がキリストの先祖であり、旧約聖書を読んでおく事によって、 この名前の人々を身近に感じ、聖書との距離が ぐーんと近くなるからです。

クリスチャンの中にも、信仰歴が長くても意外と旧約聖書を 知らない人が多いのに驚きます。
本当に聖書を読んでキリストに出会い天国の民となりたいのであれば、 まず、旧約聖書創世記から読み始めて欲しいと思います。

マタイは、家系を重んじるユダヤの伝統に従って、 私達にイエス・キリストという方を紹介しています。
キリストの誕生も大切ですが、 その誕生にまつわる、以前の経歴も同じように大切です。
イエス様が基本的にどんな背景を持つ方かという事を、私達読者 に知らせる事が大切とマタイは判断して、 この系図から調べ始め、書き始めたのです。

マタイは、ユダヤの人の為に福音書を書いた、という1世紀の記録があります。
この証言が本当であるという証拠として、3つの事があります。

1)旧約聖書を良く読み、親しんでいるユダヤの人々に対し、 まずユダヤの系図という書式で書き始めているという事。

ユダヤ人が旧約聖書を知っているからこそ、彼らは系図の意味がよく分かりました。
逆に言うと、他の民族にはよく分からなかったのです。
今の私たちは、旧約聖書を自国語で読む事が出来ます。
私達は、ユダヤ人と似た感覚を持つことが出来るのです。

2)アブラハムの系図(1:1)と言っている。

この系図の書き出しはアブラハム(ユダヤ人の祖、父アブラハム)です。
ユダヤ人は今日もアブラハムを信仰の父、 神に特別に選ばれた人として誇りに思っています。
しかし選民思想は時に「自国の民こそ世界一の民族」と 少々行き過ぎた優越感、差別意識へと発展していく事があります。
それに対しイエス・キリストもバプテスマヨハネも、このユダヤ人の 選民意識に真っ向から対立し、批判しています。
では、なぜマタイはアブラハムの系図から初めているのでしょうか。

マタイには、福音書を読む人々の心が真に神に開かれ、復活のキリストに出会って信じて 欲しいという願いがあったのです。
ユダヤ人の選民意識ををたたくという事もあったでしょうが、 それ以上にキリストの愛に触れてもらいたかったのです。
また、心の素直なユダヤの人にとって、 この系図に記されている人々の名前は懐かしく、心 動かされる名だったのです。

マタイがこの系図から示した事はもう一つ。
「神の旧約聖書の預言が確かにキリストの上に成就した」という事実です。
アブラハムからキリストまで42代あります。
アブラハムに約束した「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)
ダビデに約束した「あなたの身から出る世継ぎの子を、 あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。」(サムエル記U 7:12)
とある通り、 アブラハム→キリストへの糸は確実につながっています。
マタイは、ナザレのイエスこそ、神の約束されたキリストであるという客観的証拠を 示したのです。
単に心情的にだけでなく、客観的事実としてマタイはユダヤの人々、 また今日の私達に、神の真実、誠実さを示したのです。


エレミヤ書 31章 3節

主は遠くから、私に現われた。
「永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、 誠実を尽くし続けた。


ここで、アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダについて1800年前の預言を。


創世記 49章10節

王権はユダを離れず、 統治者の杖はその足の間を離れることはない。
ついにはシロが来て、 国々の民は彼に従う。


マタイがこの系図にこめた更に深い思いは何だったのでしょう。
それは男社会のユダヤの中に、 全く逆効果ともいえる名前をあげている事が関係しています。
彼は4名の女性の名前を、それも堂々と記しているのです。

@1:3
タマル(創世記38章)
A1:5
遊女ラハブ(ヨシュア記6章)
B1:5
ルツという女性(ルツ記)
ルツはユダヤ人ではなく、モアブ人(異邦人)
C1:6
ウリヤの妻バテ・シェバ(サムエル記U11:2〜27)

4人の女性。
しかもこのひとりひとりが 不道徳な人、異邦人など、 ユダヤの人々があまり直視したくない女性達でした。
マタイはあえてこの女性たち4名を歴史に沿って 名をだし、 救われるべき人である事をユダヤの人々、 また今日の私達に伝えたかったのです。(ヨハネ3:16)
そして、この直視したくない女性達は、私達自身でもあるのです。


ヨハネの福音書 3章 16節

神は、実に、 そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。