^ 「祝福を受けたアブラム」
「祝福を受けたアブラム」
 

創世記 14章

17節
こうして、アブラムがケドルラオメルと、 彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、 ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、 彼を迎えに出て来た。

18節
また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。
彼はいと高き神の祭司であった。

19節
彼はアブラムを祝福して言った。
「祝福を受けよ。アブラム。
天と地を造られた方、いと高き神より。

20節
あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」
アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

21節
ソドムの王はアブラムに言った。
「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

22節
しかし、アブラムはソドムの王に言った。
「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。

23節
糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。
それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。

24節
ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った 人々の分け前とは別だ。
アネルとエシュコルとマムレには、 彼らの分け前を取らせるように。」




イスラエルの父アブラハムの時代(B.C.2000年)。
アブラハムはアブラムと言われていたのですが、当時は 中東には様々な国があり、ばらばらと点在していました。
遊牧民のアブラムはそのような国々の領土を侵さないようにして牛、羊の為に 牧草を求めて天幕生活・移動生活をしていました。
といっても、アブラムの勢力は決して小さくはなく、14:14 にあるように、家のしもべ(奴隷)の数が318名もいたので、 ゆうに1000人は超える大家族だったと思われます。


創世記 14章 14節

アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、 彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。


当時の定着の国は、小国で1000人〜3000人くらいではと思うので、 アブラムの存在は、国々にとってある種のちょっとした 脅威であったかもしれません。

さて、当時エジプトは規格外の王国でしたが、 このイスラエル近辺の国々は群雄割拠で、しかも 敵対し、また連合しあっていた様です。
この地域の一番の支配者は、ソドムの 王、ゴモラの王も仕えていたエラムの王 ケドルラオメルでした。(14:4〜11)


創世記 14章

4節
彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。

5節
十四年目に、ケドルラオメルと彼にくみする王たちがやって来て、 アシュテロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイム でエミム人を、

6節
セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進んだ。

7節
彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、今のカデシュに至り、アマレク人の すべての村落と、 ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも打ち破った。

8節
そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、 ツェボイムの王、ベラの王、すなわちツォアルの王が出て行き、シディムの谷で 彼らと戦う備えをした。

9節
エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル、 シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、 この四人の王と、先の五人の王とである。

10節
シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、 ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの 者たちは山のほうに逃げた。

11節
そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。


このケドルラオメル軍の進軍は、当時の 国々にとって脅威でした。
このケドルラオメルに対して、ソドムとゴモラの王は戦う事になりました。
しかし、大軍勢を率いた連合軍には全く対抗できず、 ソドム・ゴモラの王たちも打ち負かされ、 全財産(人・物等)と食糧とを奪いさられて、二人の王も瀝青の 穴に落ち、万事休すでした。

アブラムはひとりの逃亡者から、 この事を聞きました。
アブラムは、ソドムの事ではなく、 ソドムに住むようになった甥のロトの 事が一番気がかりでした。
親族愛、特にサライの次に大切に思っていた ロトの事が心配だったのです。
この時、ロトが生きているのか、殺されたのかもわからない状況でした。

〈4:14〜16〉
アブラムは、318名のしもべを武装させ ロトの救出にいきます。
"ダンまで追跡した"とあるので、およそ200kmをアブラム軍は、大追跡します。
一日に50〜60kmとして3〜4日休まずにケドルラオメル連合軍を追いかけました。
このケドルラオメル軍が通った跡は、 国々は荒らされ滅ぼされ家々は破壊され、多くの人々が死んでいた事でしょう。

アブラムは、とにかくロトの救出の為、 必死に追跡し、ダンまでやってきました。
ケドルラオメル王達は、おごり高ぶっていた事でしょう。
アブラムの事も眼中になかったと思われます。
ケドルラオメル軍は連戦連勝に沸き立ち、酒を飲み、祝勝会を 開いて眠っていた真夜中、アブラム軍は夜襲をかけます。

全くの不意をつかれたケドルラオメル王達は、全くなすすべもなくアブラム軍に敗北して しまいました。
「高慢は破滅に先だつ」(箴言16:18)という箴言の言葉通りでした。
おごり高ぶりは、隙を与え、防御能力を失わせてしまいます。
私達も真理の御言葉を武装して歩みましょう。

さて、アブラムがケドルラオメル王達に勝利して、それを迎えにきた2人の王がいました。
この2人の王は、新約聖書にまで深くかかわってくる霊的原則になります。
アブラムを迎えた2人の王とは、 ソドムの王とシャレムの王メルキゼデクです。

〈14:17〜24〉
この二人の王は全くの正反対の信仰・価値観で生きていました。
そして、アブラムの二人の王への関わり、反応は全く異なりました。

1)アブラムとソドムの王
ソドムの王は結果的にアブラムに救出されたのですが、アブラムはロトの 救出の為に戦ったのであって、ソドムの王を助けようと思っていたのではありません。
ソドムはこの後創世記19章にあるように、あまりにも腐敗堕落していた為に 神のさばきにあい、天からの硫黄の火によって滅ぼされてしまいます。(19:24〜25)


創世記 19章

24節
そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、

25節
これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。


ソドムの町の人々の価値観は異常で、 殺人も日常茶飯事、不倫・不道徳があり、そういう言葉さえなく、無秩序、気ままな に暮らしていた人々でした。
力こそすべて、財産を持つことこそ全て、 拝金主義で、偶像の為に赤ん坊・幼児・人を犠牲に捧げる残忍な人々でした。

14:21のソドムの王の言葉は「人々は私に返し、 財産はあなたがとってください。」でした。
ソドムの王は、自分が救出されたにもかかわらず、自分から提案しています。
そこに感謝は感じられず、しかも本心からの提案ではありません。
本当はすべて元通りに私に返してくださいという思いが見え見えです。

その、ソドムの王の肉体・世的ないやらしい態度、目つきをみていたのでしょう。
アブラムはソドムの王の顔を見るのもへどが出るほど嫌だったのだと思われます。
それは、14:22〜23に表れています。
糸一本でも、靴のひも一本でも何一つ取らない。
これは汚れたソドムの王のものはいらない、と、少々潔癖症の様に見えますが、 むしろ何一つ共有しないという信仰にたった言葉なのです。(ローマ12:1〜2、Uコリント6:14〜16)

天地の神を信じるアブラムの信仰のあらわれをここに見ることができます。
私達は、この世と歩調を合わせて滅びる者ではありません。
明確に、特に偶像礼拝関係で一線を引く事が大事です。

キリスト者は、一線を引いている事に対し、時に戦っていく事が大切です。
信仰の戦いを戦っていく事はとても大切な事なのです。

2)メルキゼデク王(シャレムの王)〈14:18〜20〉
今日のエルサレムに住んでいた王でシャレムの王メルキゼデク。
このメルキゼデクはシャレムの祭司で、 まことの神を知っていました。
アブラムの時代、アブラムを神はイスラエルの父として選ばれました。
ノアの時代からすでに1000年以上もたっていたとはいえ、 ノアの信仰を受け継いでいて、偶像礼拝をしていない人々もいたという 非常に貴重な証拠でもあります。
アブラムだけが真の神に仕えていたわけではなく、 他にも神(天地創造の神)を知っている人々がいたという可能性を教えてくれます。

メルキゼデクは、アブラムと同じノアの信仰を受け継いで、 創造者である神を礼拝していました。
彼はケドルラオメル王への勝利を、アブラムの力による 勝利というより(ソドムの王はそう考えています)、神の勝利として考え、 主のみ名をあがめる為にアブラムを迎え祝福しました。
ここに今の教会も見習う原則が3つあります。

1)いと高き方にほまれあれ
今日の私達も、人の成功・勝利をたたえる事が多いです。
しかし、どんなに成功しても勝利しても、 それは主の御名を崇める為なのです。

2)アブラムはメルキゼデク(祭司)に 10分の1を捧げた
これは、今日の私達の働きの10分の1を主にささげる献金の原型です。

3)14:24にあるアブラムの言葉は信仰確信
個人個人を大切に重んじる姿勢がここにあります。
信仰信念は個人の自由なのです。