^ 「神様の猶予期間について」
「神様の猶予期間について」
 

ルカの福音書 13章

6節
イエスはこのようなたとえを話された。
「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。
実を取りに来たが、何も見つからなかった。

7節
そこで、ぶどう園の番人に言った。
『見なさい。
三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、 なっていたためしがない。
これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。』

8節
番人は答えて言った。
『ご主人。
どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。

9節
もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、 切り倒してください。』」




イエス・キリストは、災難や不運に見舞われた人々について、 罪の結果その様な不幸に遭ったという考えを絶対的に否定されました。
そしてすべての人は、神の前に「悔い改め」の必要がある事を 示されました。
この様な前提で次のたとえ話が続きます。
「ぶどう園にいちじくの木」 を植えた話です。

〈13:6〜7〉
このたとえ話は分りやすいものです。
〈ある人〉とはぶどう園の所有者、つまり天の父なる神様です。
ぶどう園とは、この世の事です。

天の父なる神は、 昔も今もこの世界をつくり、 支配しておられる方です。

いちじくは、旧約聖書で、神の民イスラエルのシンボルになっているので、 いちじくが神の民を表す事は確かです。
ぶどう園の番人とは、実際にこの世にくだってきた イエス・キリストの事です。
番人とは、ぶどう園の管理、いちじくの木の栽培を任されている人の事です。
イエス・キリストは、実を結ばない神の民イスラエル(ユダヤ)にやってきて、 3年間神の国の福音を伝えましたが、一向に実を結びませんでした。
イスラエルの人々は、福音に耳を傾けず、神を信じようとしないのです。

そこで、天の神様はぶどう園の中のいちじくの木を切り倒してしまいたい。
つまり、神の民を取り除きたいと言われます。
しかしぶどう園の番人はとりなし(13:8〜9)、 木の回りを掘って肥やしをあげる提案をします。

いちじくの木が実を結ぶ為の肥やしとは何でしょうか。
それは福音です。
ここで、一年間の猶予期間が与えられていますが、 実際に365日という事ではなくて、 神のいかり、さばきがさし迫っているという緊張、 緊迫した状況を示しているのでしょう。
神様は、今すぐにでも神の怒りでこの地上の全ての人々を、 滅ぼす事の出来る方ですが、忍耐深い方なので、 ご自身が創ったすべてを一瞬で滅ぼす事は なさいません。
もちろん、かつて神様は私達への警告、戒めとして神を 侮る人に一瞬にさばきを下す事もありました。

例えば旧約聖書。
異なった火を神聖な儀式の最中に神にささげた ナダブとアビフの事件(レビ10:1〜2)。


レビ記 10章

1節
さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の 火皿を取り、 その中に火を入れ、その上に香を盛り、 主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。

2節
すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、 彼らは主の前で死んだ。


牛が倒れそうになったので、支えようと思って 神の契約の箱につい手を触れた為に、 神の怒りに触れ、死んだウザ。(歴代誌T13:9〜11)


第T歴代誌 13章

9節
こうして彼らがキドンの打ち場まで来たとき、 ウザは手を伸ばして、箱を押えた。
牛がそれをひっくり返しそうになったからである。

10節
すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。
彼が手を箱に伸べたからである。
彼はその場で神の前に死んだ。

11節
ダビデの心は激した。
ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。
それで、その場所はペレツ・ウザと呼ばれた。
今日もそうである。


新約聖書でも、自分の土地を売って教会にささげ、しかし虚偽の証言をした アナニヤとサッピラ(使徒5:1〜4、7〜10)。
12使徒の一人ヤコブを殺害させ、自分に
栄光を帰した為に虫にかまれ、息絶えたヘロデ(使徒12:21〜23)など…。


使徒の働き

5章

1節
ところが、アナニヤという人は、 妻のサッピラとともにその持ち物を売り、

2節
妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、 ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

3節
そこで、ペテロがこう言った。
「アナニヤ。
どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、 地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。

4節
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由に なったのではないか。
なぜこのようなことをたくらんだのか。
あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」


7節
三時間ほど立って、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。

8節
ペテロは彼女にこう言った。
「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。
私に言いなさい。」
彼女は「はい。その値段です。」と言った。

9節
そこで、ペテロは彼女に言った。
「どうしてあなたがたは心を合わせて、 主の御霊を試みたのですか。
見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、 あなたをも運び出します。」

10節
すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、 息が絶えた。
はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、 運び出し、夫のそばに葬った。


12章

21節
定められた日に、ヘロデは王服を着けて、 王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

22節
そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。

23節
するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。
ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。
彼は虫にかまれて息が絶えた。


その他神の怒りに触れ、裁かれた人々の例が多く記されています。
しかし神様は、大体猶予期間をお与えになります。
ノアの洪水の時も、100年という、とても長い時を与えておられました。
その間ノア達は、人々に警告を与え続けました。

今日の箇所の1年という猶予期間は今も続いています。
神様のご計画は、御国(天国)の完成です。

今私達は、終末の終焉〜御国の完成に向かう時代に 置かれています。
でも御国の完成の前には、 御国に入れる人、 入れない人の審査、 神様のさばきの座が用意されています。
キリストのさばきの座に現れる 人は幸いな人です。
しかしその後の1000年王国の後にくる 白い御座にたたされる人は滅びる人です。
この現実を非常に重く受け取る べきなのです。
何しろ私達の永遠の行き先を 決める事ですから。
イエス・キリストの十字架の前に、 自分の罪、あやまちを認めましょう。(ペテロU 3:6〜9)


ペテロの手紙 第U 3章

6節
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。

7節
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、 不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

8節
しかし、愛する人たち。
あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。
すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

9節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせて おられるのではありません。
かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、 ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを 望んでおられるのです。


悔い改めて神にかえり、正しい信仰生活を送りましょう。
みたまの実を 結ぶ人は今も幸いですが、永遠のいのちを得る本当に幸いな人です。

私達は神を知り、イエス・キリストを知った今、 多くの実を結ぶ者となりましょう。
日々、悔い改めの実、福音のめぐみの実、 クリスチャン生活にとって最も大事な みたまの実を結ぶ者でありたいものですね。(ガラテヤ5:22〜23)


ガラテヤ人への手紙 5章

22節
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

23節
柔和、自制です。
このようなものを禁ずる律法はありません。


そして放送伝道は、 いちじくの木に実がなる事を期待して 福音という肥料を世の中に 撒き続けるものなのです。