^ イエス・キリストに出会った人々 23
「エルサレムの老シメオン」
 

ルカの福音書 2章


22節
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を 主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。

23節
――それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、 と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。――

24節
また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と 定められたところに従って犠牲をささげるためであった。

25節
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しい、敬虔な人で、 イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。
聖霊が彼の上にとどまっておられた。

26節
また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。

27節
彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の 慣習を守るために、はいって来た。

28節
すると、シメオンは幼子を腕に抱き、 神をほめたたえて言った。

29節
「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、
みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

30節
私の目があなたの御救いを見たからです。

31節
御救いはあなたが
万民の前に備えられたもので、

32節
異邦人を照らす啓示の光、
御民イスラエルの光栄です。」





今日はエルサレムに住んでいた老シメオンについてみていきましょう。
彼は、赤ん坊のイエス様(生後八日目)に会えた事で得た喜びや希望のメッセージを 今日の私達にも送っています。

〈ルカ2:22〜27〉
イエス・キリストの誕生は、今日B.C4〜6年といわれていますので、このエルサレム在住の シメオンはB.C70〜80年頃の生まれか、もっと年を取っていたのであればB.C90〜100 年生まれと考えられます。
この人はユダヤの最も激しい動乱の時代を生きてきた人でした。
この時代は、最も政治的、宗教的に流動的で、エルサレムの 神殿を中心としたさまざまな問題があり、彼はその生き証人だったのです。
さまざまな負の感情で満たされていた時代で、 本当にきつい人生を歩んできた一生であった事に間違いはありません。(25〜26節)
老シメオンは、昼夜主に仕え、メシアの到来を日々待っていた敬虔な人でした。
ただ単にエルサレムに平和にいた人ではないのです。
知ることなしに読む時に、このシメオンの心に触れる事は難しいでしょう。

では、B.C2世紀にさかのぼりみていきましょう。

セレウコスという外国(シリヤあたり)の支配が続き、 ユダヤ戦争の後、 ユダヤはマカバイオスとハスモン王朝によって、 一時独立します。
しかし、外国のアンテオコス家が支配しても 同国のユダヤ人ハスモン家が支配したとしても 結局、エルサレムには平安がなく、そこには敵対と裏切りと血生臭い歴史があり 数千数万といわれる人々が殺されました。
シメオンは、その残酷な光景を、あるいは見てきたのでしょう。

この時代、パリサイ派の人々が力をつけて、権力(王)と結びついて 律法を人々に押し付けます。
重く人々の心に鎖がかけられたのです。
(パリサイ人には黄金時代だったようです。B.C.76〜63)

ユダヤの独立は、B.C63年に終わり、 ローマのポンペイウスがユダヤを支配します。
クレオパトラもこの時代です。
シメオンは、ポンペイウスを実際に見た事でしょう。
ただ、ポンペイウスはユダヤ人の宗教には寛容で、敬意を払い、エルサレム神殿には 自由に礼拝する事を尊重したとの事です。
ローマの支配下の中でユダヤは平穏な日々を送ることになりますが、 その直後、ヘロデ大王が ローマに取り入ってユダヤの王に就くのです。
ヘロデ大王は有能な人で神殿を拡張し、大きくしていきます。
イエス様の30歳の時にもまだ建設中でした。

こんな激動の時代を生きてきた老シメオン。
この人がイエス様に会って、どんなに感動し、もう死んでも良いと思った事でしょう。
しかも、彼は特別に預言者として神の直接啓示を受けていました。(20)

〈28〜32〉
シメオンの喜びと希望はいかばかりだったでしょうか・・・。
主キリストにある心の平安を、シメオンは心に持つ事が出来ました。
幼子イエスは何も語らず、ただ神の救いをその姿に見出されたのです。

ここで、シメオンが語っていることばに注目したいと思います。
これは、一種の預言として理解されると思いますが、 万民の救い、異邦人への救いの証しです。
当時のユダヤ教は、パリサイ派、サドカイ派が中心でしたが、 この二つの宗教は、本質的に排他的であり、 また策略的でした。
当時ユダヤ人は、「選びの民」 としてのプライドを持っていました。
しかし、シメオンは、万民の救いを預言し、 願っていたのです。

シメオンの預言の言葉は、確かに イザヤ42:5、49:5、イザヤ9章との関わりで語られていて、 B.C.8世紀のイザヤも、 エレミヤ、エゼキエルも異邦人の救いを願っていたのです。
この人々は外国で生き外国で結婚し、外国の人々を欲するように祈れとさえ あるのです。(エレミヤ29〜30章)


イザヤ書 42章 5節

天を造り出し、これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主は
こう仰せられる。


49章 5節


今、主は仰せられる。
――主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、
イスラエルをご自分のもとに集めるために、
私が母の胎内にいる時、
私をご自分のしもべとして造られた。
私は主に尊ばれ、私の神は私の力となられた。――


ですから、イエス様が生まれた当時、また公生涯に入られてからも、 ユダヤ教のパリサイ・サドカイ派が、 このイザヤ、エレミヤ、ダニエル達のメッセージにどれ程忠実でなかったかが分かるのです。
シメオンは、異邦人にメシヤの光、希望が波及することを願い、 預言している事は、旧約聖書の大きな太いメッセージの流れに沿ったことだったのです。
旧約聖書→新約聖書にこれは続きます。

今日神様の救いのメッセージは、イエス・キリストの 罪のあがないと復活という明らかなメッセージとなって、私達にゆだねられているのです。
(Tコリント15:1〜7)


コリント人への手紙 T 15章

1節
兄弟たち。
私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、 あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

2節
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ 伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば、この 福音によって救われるのです。

3節
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、 私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

4節
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

5節
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。

6節
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者も いくらかいます。

7節
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。