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マタイの福音書 27章
56節
その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
57節
夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。
彼もイエスの弟子になっていた。
58節
この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。
そこで、ピラトは、渡すように命じた。
59節
ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
60節
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。
墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
28章
1節
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが
墓を見に来た。
2節
すると、大きな地震が起こった。
それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
3節
その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
4節
番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5節
すると、御使いは女たちに言った。
「恐れてはいけません。
あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
6節
ここにはおられません。
前から言っておられたように、よみがえられたからです。
来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
7節
ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。
イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、
あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。
では、これだけはお伝えしました。」
8節
そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
9節
すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。
彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
10節
すると、イエスは言われた。
「恐れてはいけません。
行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。
そこでわたしに会えるのです。」
イエス様に会った人は何万人もいたでしょうが、
特に身近な人々は、12人の弟子と女性達でした。
今日は、女性達のリーダーとして名前が良く出てくるマグダラのマリアを見ていきましょう。
マグダラのマリアの名前は4つの福音書に出てきて、12回も言及されています。
これは異例の事です。
この当時の人は、出身地の名前でよく呼ばれていました。
マリアは何人もいた平凡な名前だったので、
出身地マグダラの地からきた女性、マグダラのマリアと人々は呼んでいました。
このマグダラは交通の重要なポイントだったところです。
マグダラは、染料と漁業の盛んな商業の町で、
ガリラヤ湖西岸の輸出用の「塩漬けの魚」が有名との事でした。
マグダラのマリアは、ガリラヤ地方を巡回していたイエス・キリスト一行に出会いました。
当時マリアは「七つの悪霊」を持っていた女性でした。
イエス様に会って、この悪霊を追い出してもらい、
また病も癒してもらった事がイエス様についていくきっかけでした。
イエス様から癒されたマグダラのマリアは、その時以来
ずっとイエス様に仕え、どこまでもついていったのです。
イエス様がエルサレムに顔を向けられた時の一行の中に、
マグダラのマリアはいました。
イエス様の十字架も見ていました。
主イエスの死を間近で見、その遺体を十字架からローマ兵士が降ろすのも
じっと見ていました。
主イエスの遺体が墓に納められるのも見ていました。
日曜日の早朝、数人の女性達がイエス様の遺体に香油を塗りに行っていた中にも、彼女はいました。
彼女は「空の墓」を最初に目撃した人でもあります。
また、復活したイエス様に最初に出会い、話した人でもあります。
彼女は走って行って、このキリストの復活を11人の弟子に伝えた人です。
この様に、マグダラのマリアは、イエス・キリストと共に歩み、
常に傍にいて仕えていた人でした。
12人の弟子の中で、イスカリオテ・ユダは別としても、ペテロ・ヤコブ・ヨハネ
なども、常に主の傍にいて、みことばを聞いて仕えていたのですが、十字架の時には、
皆イエス様を見捨てて逃げて行ってしまいました。
イエス様は十字架上で「7つの言葉」を語られましたが、この事はルカの福音書に
あります。
この主の最後の言葉を直接聞いたのは、主の弟子達ではなく、
主の母マリヤとマグダラのマリアを含む女性達だったのです。
聖書は、しばしば女性の証言によって書かれています。
その女性達の貢献度はとても大きなものです。
マグダラのマリアの証言に基づいて、福音書の、特に
主イエスの十字架と復活は書かれています。
マグダラのマリアは他の誰よりも主イエスに従ってついていき、主の死と
復活に最も近づいた女性です。
主イエスへの感謝、愛と熱心さにおいて、主の母マリヤも彼女には及びませんでした。
しかし、神の側から考えてみると、彼女は一人の平凡な女性です。
復活の主イエスに最初に出会い、最初に話したマグダラのマリア。
この一人のか弱い女性の証しを、神は第一の証しとして用いようとされたのです。
この一人の女性の主イエスへの愛と信仰と献身こそがどんな証人、証言よりも人々への
証しとなるのです。
マグダラのマリアの証言によって、二人の
弟子ペテロ・ヨハネは行動しています。
ところでマグダラのマリアの事をいろいろ誤解している風潮があります。
1)マグダラのマリアは汚れた娼婦だった?
〈ルカ7:36〜37〉
ひとりの罪深い女(不道徳な女)パリサイ人シモンの家での出来事です。
この罪深い女の人がマグダラのマリアという謝った解釈があります。
悪霊を追い出してもらった女=罪深い女(悪霊が憑く=罪が深いという考えが
当時ありました)=マグダラのマリア
また、その、「罪深い」を「娼婦だから」と思っている人がいます。
これは、全く根拠のないものです。
ルカの福音書 7章
36節
さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、
そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
37節
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に
着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
2)マグダラのマリアはイエス様と結婚していた?
女性の聖書学者の中で特にその主張をする人がいますが、
今日の聖書学会では、全く認められていないし、
聖書的根拠も全くありません。
イエス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたという
事はありえません。
一世紀の文書の中にもないものです。
マグダラのマリアは一人の使徒としてイエス様に仕え、従っていました。
個人的にイエス様と共にいる時間など、
常に12弟子と共にいたイエス様にあったはずがないのです。
神様は一人の平凡な女性、しかし主イエスに対して愛と感謝と信仰を持って、
仕え、どこまでもついていった女性を第一の復活の証人として選び、
用いられたのです。
何もない私達ですが、主イエスへの熱心さにおいて、このマグダラのマリアに続く者
でありたいです。