「新約時代・旧約時代」
 

使徒の働き 18章

24説 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。
彼は聖書に通じていた。

25説
この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、
また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

26節
彼は会堂で大胆に話し始めた。
それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に 彼に説明した。

27節
そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、 兄弟たちは彼を励まし、 そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。
彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になxっていた人たちを大いに助けた。

28節
彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、 公然とユダヤ人たちを論破したからである。



19章

1説
アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。
そして幾人かの弟子に出会って、

2説
「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、
彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」 と答えた。

3説
「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、 「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。

4説
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、 悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。

5説
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

6説
パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

7説
その人々は、みなで十二人ほどであった。





今日はペンテコステです。(この日は2012年5月27日)
イースターから数えて50日、この日は教会の誕生日です。
イースターが毎年変わる移動日なので、ペンテコステも移動日となります。

さて、日本は1945年8月15日に終戦を迎えました。
多くの人々が現地から復員し、引き上げてきました。
数百万の人々が日本に帰ってきたのです。
しかし、フィリピンなどのジャングルには情報が伝わらず、残った兵士もいました。
彼らのように、終戦を知らされずに帰国できなかった人も多かったのではないでしょうか。
今もフィリピンの奥地に老兵がいるとも聞くのですが、定かではありません。

さて、イエス・キリストの昇天後、主の12弟子はエルサレムに留まっていたのですが、 五旬節のその朝、彼らの上に突然天から炎の様に分かれた舌の様なものが現われました。
そしてその地は暴風の様に揺れ動き、12人のキリストの弟子は、 習った事のない地上の言語を突然喋りだしたのです。(使徒2:4〜6)


使徒の働き 2章

4節
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

5節
さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

6節
この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。
彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。



この話を聞いた多くの外国人は驚き呆れたのですが、具体的な外国名が記されています。(使徒2:8〜10)


使徒の働き 2章

8節
それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

9節
私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキア、ポントとアジヤ、

10節
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、
また滞在中のローマ人たちで、



今日の使徒19章との関連でここに注目すべき一つの国名が記されています。
"エジプト"です。
当時エジプトには、出エジプトの時代と異なりユダヤ人街(島全体がユダヤ人の町)があり、 エジプトにもユダヤ教が伝わっていたのです。

ここに登場するユダヤ人の一人"アポロ"も、当時のエジプトの中心都市であるアレキサンドリアの、 世界一蔵書を持っていた図書館で育っていたと思われます。
アポロは旧約聖書に通じていましたが(使徒18:24〜25)、ヨハネのバプテスマしか知りませんでした。

ヨハネは、ヘロデの子アンテパスによって捕らえられ斬首刑に処されています。
彼がバプテスマを授けた期間は短かったのですが、彼の宣教でバプテスマを受けた人は多かったのです。
バプテスマ・ヨハネに促されてキリストに出会った人の中には ペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネなどもいたのですが、 キリストに出会えなかった多くのヨハネの弟子もいました。
アポロの事についてはよく分かりませんが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったという事は、 ペンテコステで聖霊が降った時期から考えると (教会が誕生したのが30〜40年頃、アポロがエペソに来たのが52年頃とされている) 22年間のギャップがあります。
アポロは正確な知識を持っていたにもかかわらず、時代遅れの福音を語っていたのです。
時代の中で生きていながら、時代が流れている事を知らなかったのです。

使徒夫婦アクラとプリスキラは彼を家に招き入れて、神の道の事、メシヤ(キリスト)の時代が 20年以上も前から始まっている事を伝えたのです。
アポロはこの事により、キリストの名によるバプテスマを受けたのでしょうが、 聖書には明確に記されていません。
アポロは十分な知識を持っていたので、コリントの教会の牧師としてパウロの後任の役割を果たし ました。(Tコリント1:12・3:6)
アポロは、バプテスマ・ヨハネのバプテスマからキリストの名によるバプテスマを受け、 旧約聖書→新約聖書に時代は移り変わった事を知ったのです。



コリント人への手紙 T 1章12節

あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」 と言っているということです。



3章6節

私が植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし、成長させたのは神です。



〈19:1〜3〉
パウロが出会ったエペソの信者がいました。
この12人はアポロと同様に、バプテスマ・ヨハネによってバプテスマを受けた敬虔なユダヤ教徒でした。
当時のサドカイ派、パリサイ派、エッセネ派のどの ユダヤ教の教派にも属さない、バプテスマ・ヨハネの弟子として、メシヤを待ち望んでいた人々でした。
パウロは「ヨハネは自分の後に来るイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを受けるように すすめた」事を教えたところ、この12人は主イエスの名によってバプテスマを受けたのです。
すると不思議な現象が起こりました。(使徒19:6)
この人々の上に聖霊が臨み、異言を語ったり預言をしたのです。
この現象は目に見える形でおきた事ですし、人々に何かを語らしめた現象ですが、 はっきりとは分かりません。
異言が地上の外国語だったのか、ぶつぶつと口から何かを言うものだったのかは不明です。
ただ、コリントの教会で見られた異言とは、 単なる地上の言語というよりも、人々に分からない解き明かしが必要なものだった ようです。(Tコリント12:10)

コリント人への手紙 T 12章10説

ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、 ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。


しかし、Tコリント13:8「預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。」とあります。

異言は人の意思によるのではありません。
突然上の力が語らせてくれるのだとすれば、聖書のみことばによく照らして、 その異言を解釈する必要があります。

それにしてもアポロといい、12人のバプテスマ・ヨハネの弟子達といい、 ヨハネの死後24〜25年経っていたにもかかわらず、 その信仰をずっと貫いてキリストを待っていた忍耐と信仰には頭がさがります。

数十年前にキリストに触れていた人々が、再びキリストに出会えるように助け、 またアクラ、プリスキラ、パウロのようにキリストを伝え、 教えるものでありたいものです。