「ゼベダイの子ヤコブ」
 

マタイの福音書 4章


18節
イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ をご覧になった。
彼らは湖で網を打っていた。
漁師だったからである。

19節
イエスは彼らに言われた。
「わたしについて来なさい。
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

20節
彼らはすぐに網を捨てて従った。

21節
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、 父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。

22節
彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。

使徒の働き 12章

1節
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、

2節
ヨハネの兄弟やこぶを剣で殺した。







"ヤコブ"という名は、聖書の中には何人も出てきます。
元々は、アブラハムの孫のヤコブ、後に族長ヤコブと言われる人で、この人の名にちなんでいます。
新約聖書では、イエス様の弟、後にエルサレム教会の牧師になったヤコブは「主の兄弟ヤコブ」と言われています。
イエス様の弟子の中には、二人のヤコブがいたので、年上のヤコブ、年下のヤコブ(小ヤコブ)と呼ばれていました。

ヤコブという名前は、かなり一般的だったのでしょう。
ゼベダイの子のヤコブは年上のヤコブで、ヨハネの兄でもありました。
ゼベダイの子達とは、このヤコブとヨハネの事で、母はサロメです。
二人はイエス様と親類であり、サロメとマリヤは姉妹、つまりイエス様とヤコブ、ヨハネはいとこです。
しかし、マリヤの家は貧しく、逆にゼベダイの家は相当に金持ちで、ガリラヤ湖の漁師の元締めだったと思われます。
大祭司とも知り合いで、何人もの漁師を雇っていたようです。
マタイ4:18〜22節に、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの若い漁師の献身をしたところがありますが、四人の漁師 がそのまま抜けてもびくともしないどころか、ゼベダイはよく理解を示し、サロメと共に多くの経済的援助をしたようです。
昔私たちは、周りの事を考えず無鉄砲に神様の為に奉仕したり献身したりする事を、"より信仰的" と思った時期もありました。
しかし、周りの状況や人々の気持ちをよく考え、時には待って整えていくべきです。

〈4:19〉
「すぐに網を捨てて従った」4人の若者が、イエス様の弟子になる為に着いて行ったのですが、そこにはゼベダイと サロメの理解があったのです。〈4:22〉
自分勝手で無鉄砲な献身を勧めているのではないのです。

12人の弟子が主イエスの使徒に任命された事がマタイ10:1〜4に記されていて、ヤコブもこの中に入っています。
漁師の子で少々性格は荒々しかったので、2人は「雷の子」というあだ名がつけられています。(マルコ3:17)
イエス様は12人の弟子の中でも、特にペテロ・ヤコブ・ヨハネを主な弟子に選び、常に行動を共にしていました。


マルコの福音書 3章17節
ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。


マルコの福音書 5:35〜37、40〜42 会堂管理者ヤイロの12歳の娘、生き返り
マタイの福音書 17:1〜2 変貌山で本当のご自分の姿を3人の弟子にみせた
マタイの福音書 26:36〜38 ゲッセマネの園に連れて行かれた

マルコの福音書 5章

35節
イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。
「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」

36節
イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。
「恐れないで、ただ信じていなさい。」

37節
そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。

40節
人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、 子どものいる所へはいって行かれた。

41節
そして、その子どもの手を取って、
「タリタ、クミ。」
と言われた。
(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」という意味である。)

42節
すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。
十二歳にもなっていたかである。
彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。


マタイの福音書 17章

1節
それはら六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。

2節
そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

マタイの福音書 26節

36節
それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。
「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」

37節
それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。

38節
そのとき、イエスは彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。 ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」


ヤコブは、イエス様の側近中の側近として、常にその御傍で仕え、様々な奇跡を見、真の姿を見、十字架を 目前にして苦闘される人の子の姿を見てきたのです。
ヤコブはイエス様に一番近い人の一人でした。
しかし、イエス様への献身が全て純粋だったかというと、必ずしもそうとは限りませんでした。

人はどこまでも罪人で罪深い者だと思います。
ヤコブもそうでした。

〈マタイ20:20〜24〉
ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、他の10人に対し抜け駆けをします。
母サロメと息子二人は、イエス様が御国の位に王として君臨する時、その左大臣・右大臣のポストにつきたい とこっそりと懇願しました。
3年間イエス様についてきた動機がこんなものだったとは残念です。
この事で、他の10人も腹を立てています。
つまり、他の10人も動機は同じだったのです。

ゼベダイの子ヤコブ・ヨハネもサロメも、この事をイエス様に懇願した背景にあったものは 何だったのでしょう。
それは、二人は母サロメとゼベダイの経済力をもって、イエス様や弟子たちの生活 を支えていたという事が大きな理由だったと思われます。

ヤコブ・ヨハネは、他の弟子達よりも熱心に主に仕え、圧倒的経済力で皆を支えた事もあって、自分達 二人には、主イエスの横に着座する資格があると思ったのです。
彼らも野心家だったのです。
イエス様はこの二人を叱責され、神の御国の原理・原則は「あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、 みなに仕える者になりなさい。人の先に立ちたいと思う者は、あなた方の僕になりなさい。」(26〜27) だと教え、戒められたのです。

このイエス様の教えが人々の間に定着すれば、何と素晴らしい世界になる事でしょう。
全ての企業が、全ての会社が、全ての教育、経済、社会、文化、福祉、医療の現場にこのステッカーを貼り、 実行しようと皆が思えば、世界は何と素晴らしいものに変わる事でしょう。
しかし現実は今も昔も全く進化せず、「異邦人の支配者達は、彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力を ふるう」(25節)のです。
イエス様が教えられた原則に基づく社会になる事を祈り、とりなすことは大切です。
けれど残念ながら、キリスト教界の中でさえ、この教えは忘れられています。

さて、ヤコブはイエス・キリストの十字架の死後は、ガリラヤに、(ヨハネ21:2) 主イエスの復活昇天後は、エルサレムに他の弟子と一緒にいました。(使徒1:12〜13)
ヤコブの名前はその後出てきませんが、ペテロ・ヨハネとともにエルサレムで宣教活動を行っていたのでしょう。
ステパノの殉教を機に、エルサレムの教会への、ユダヤ当局の迫害が強化され激しくなっていきます。(使徒8:1)
多くのキリストの群れはエルサレムを追放され、人々は財産を奪われ、離散します。
そして離散したキリストの群れは、みことばを伝えながら、全世界へ散っていったのです。(使徒8:4)

ステパノを葬った人々は、おそらくペテロ・ヤコブ・ヨハネなどだったと思われます。
この、主の12人の使徒はエルサレムに潜伏して集会を行っていたのでしょう。
そして、サウロ(パウロ)の回心、ペテロの夢、異邦人宣教・・・ 使徒1:8の「エルサレム・サマリや・ユダヤ全土・・・」の預言が成就するのです。(使徒8〜11章)


ヨハネの福音書 21章 2節


シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかに ふたりの弟子がいっしょにいた。

使徒の働き 1章

8節
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

12節
そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。
この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。

13節
彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。
この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、 バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

使徒の働き 8章 1節

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。
その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、 ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。


〈12:1〜2〉
ヘロデ大王の孫ヘロデ・アグリッパによって、ヤコブが捕まり、処刑されるという 衝撃的な殉教の知らせが教会をかけめぐりました。
こうしてヤコブは12使徒の最初の殉教者となったのです。
教会にとって、この事はステパノの殉教と共に大きな痛みとなり、悲しみとなりました。
しかし、神は決して黙ってはおられません。
ただちに、ヘロデ・アグリッパを裁き、永遠の滅び、魂の死へと正しく裁かれたのです。(使徒12:23)



使徒の働き 12章 23節

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。
ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。
彼は虫にかまれて息が絶えた。


ステパノの殉教は、エルサレムから外へキリスト者を宣教に出すもの。
ヤコブの殉教は、異邦人伝道のきっかけになりました。
ヤコブ自身、捕らえられ処刑されるまで、何を思い何を祈ったかは全く分かりません。
ただ、聖霊が降ってから、その荒い性格、野心家の心は清められ、主に熱心に使え、キリストの使徒として 宣教に携わり、人生の終わりまで信仰を貫き通した事は間違いありません。

私達はどのようにして人生の終わりを迎えるのでしょうか。
キリストを信じる者の「守られる」というのは肉体の事ではなく、魂の事です。
魂の滅びから守られるのです。
ヤコブは、肉体は死にましたが、魂は守られました。
私達は肉体の守りを日々祈ることも大切ですが、どのように人生を終えるかということからすると、最後まで 信仰を貫く祈りこそが大切なのです。