「母マリヤを託されたヨハネ」
 

ヨハネの福音書 19章

23説
さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に 一つずつあたるよう四分した。
また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫目なしのものであった。

24説
そこで彼らは互いに言った。
「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」
それは、
「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」
という聖書が成就するためであった。

25説
兵士たちはこのようなことをしたが、 イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤ が立っていた。

26説
イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に 「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。

27説
それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。
その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

28説
この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、 「わたしは渇く。」と言われた。

29説
そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。
そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それを イエスの口もとに差し出した。

30説
イエスは酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。
そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。



さて、イエス・キリストに出会って人生が大きく変わった人々を見ていますが、今日はヨハネをとりあげます。
ヨハネはその福音書の中で、自分の事を名前は出さずに「主の愛された弟子」という言い方をしています。
これは、イエス・キリストが贔屓をして、ヨハネだけ特別視していたという事ではなく、 ヨハネ自身が主の愛を、その豊かな感情で受け留めていたという事です。
どんなに愛されていても、愛を受け留めない人もいました。(イスカリオテ・ユダなど)
今日はその「主の愛された弟子」ヨハネを、十字架を境にして、二回に分けて見ていきます。

ヨハネは生粋のユダヤ人で、その名前は「主は恵み深い」と、いうものです。
ペテロ・アンデレなどの漁師を雇っていて、相当に裕福な家庭の子でした。
兄ヤコブとヨハネはポアネルゲ(雷の子)という愛称をつけられていて、相当に 短気で、わがままだったようです。(マルコ3:17)


マルコの福音書 3章 17節

ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりには、ボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。


そんな彼が、ヨハネの福音書を書いているのですから、人は変われるもの、否、 神はどんな人でも愛の人に変えれるのだという一つのサンプルとして、ヨハネを見ても いいのではないでしょうか。
ヨハネ自身その事を伝えたかったのだと思うのです。

ヨハネの背景ですが、父はゼベダイ、母は福音書にたびたび顔を出していて、 イエス様の右と左に自分の息子ヤコブとヨハネを座らせてくれとずうずうしくお願いしています。
四つの福音書を照らし合わせてよく読むと、ヨハネの母は"サロメ"という人で、 どうもイエス・キリストの 母マリヤの姉妹だった事が分かります。
今日のヨハネ19章で、主の弟子ヨハネは、イエス様の死後母マリヤを主によって託されていますが、 これはヨハネにとって、母マリヤは「おば」にあたり、決して場違いの事ではなかったのです。
何故、マリヤの子ヤコブ、ユダなどに母を託されなかったのかは分かりませんが、 まだこの人達は力が無い、もしくは小さかったのかもしれません。

ヨハネとイエス・キリストとは母親同士が姉妹という事で幼馴染だったと思われます。
しかしヨハネ(とペテロ)は、イエス様とはバプテスマのヨハネの紹介で会ったかのように 記しています。(ヨハネ1:35〜40)

ヨハネの福音書 1章

35節
その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
36節
イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
37節
ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
38節
イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。
「あなたがたは何を求めているのですか。」
彼らは言った。
「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
39節
イエスは彼らに言われた。
「来なさい。 そうすればわかります。」
そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。
そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。
時は十時ごろであった。
40節
ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

ヨハネからすると、バプテスマヨハネの紹介を受けるまでもなく、 イエス様の事をよく知っていたと思われます。
彼は、バプテスマのヨハネの紹介で出会った方を、知り合いのナザレのイエスではなく、 救い主イエス・キリストと見たのでしょう。
彼は、真実を見る目を持っていたのです。

イエス様が郷里に帰ったときの事が福音書に書いてあります。

〈マタイ13:54〜58〉
十二弟子の一人ヨハネも同行していました。
人々はイエス様の事をもう知っていて、貧しいヨセフの子という事で馬鹿にしていました。
ナザレの人々はこれに躓いたのです。
でもヨハネは、イエス様をそういう肉的な目では見ていませんでした。
イエス様の語る言葉、振る舞い、教え(メッセージ)を、傍にいてよく観察していたのです。
ですから、ヨハネの福音書は、他の福音書の様な多くの奇跡、癒しについてではなく、 イエス様が何を語ったかに重点が置かれているのです。(ヨハネ1:1、1:14)

マタイの福音書 13章

54節
それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。
すると、彼らは驚いて言った。
「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
55節
この人は大工の息子ではありませんか。 彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
56節
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。 とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
57節
こうして、彼らはイエスにつまずいた。
しかし、イエスは彼らに言われた。
「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」
58節
そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。

ヨハネの福音書 1章 1節

初めに、ことばあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。

ヨハネの福音書 1章 14節

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。


私達は、イエス・キリストをどのような方としてみているでしょう。
ヨハネは、イエス・キリストを、当時の人々の 理解を超えて、メシヤとしてしっかり認識し、神・人としてみていたのです。

〈ヨハネ19:25〜27〉
ヨハネは、イエス様が捕縛されたとき、他の弟子同様に逃げてしまいました。
しかし、ヨハネはいつもイエス様には基本的にくっついていた人でした。
ヤイロの娘が生き返った時も、変貌山でもぴったりとくっついて傍にいたのです。
十字架の捕縛の時以外は、常に寝食を共にし、最後の晩餐でもイエス様の傍にいたのです。
そして、他の十人の弟子が遠く離れて十字架を見ていたにも関わらず、 ヨハネは十字架の真下に母マリヤと共にいました。
ここは、他の逃げた十人の弟子とは違います。
イエス様の弟子だという事を人々に知れても平気という覚悟があったのです。

ヨハネは、イエス様が大好きで、いつもくっついていた人でした。
それは、イエス様に愛されていた事を誰よりも感じていたからです。
ヨハネは、主イエスの死の直前にあっても、主にくっついていたという事は 評価されてもいいと思います。
他の弟子に比べ、勇気も信仰も一歩リードしていたのです。