「復活の証人 アリマタヤのヨセフ」
 

マタイの福音書 27章



45節
さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。

46節
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」 と呼ばれた。
これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

47節
すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。

48節
また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、 葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

49節
ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」と言った。

50節
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

51節
すると、見よ。
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

52節
また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。

53節
そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖徒にはいって多くの人に現れた。

54節
百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、 非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。

55節
そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。 イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。

56節
その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。

57節
夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。
彼もイエスの弟子になっていた。

58節
この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。
そこで、ピラトは、渡すよに命じた。

59節
ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、

60節
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。
墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。

61節
そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。




さて、イエス・キリストに出会って人生が大きく変えられた人々をみてきました。
今回は、アリマタヤのヨセフという人についてみていきましょう。
"アリマタヤ"は、エルサレムの北西約30~35kmのところにある町で、 旧約聖書の預言者サムエルの出身地です。
また、名前には「高い所」という意味があります。

ユダヤの議会(サンヘドリン)は、70人の議員で構成されていて、 ヨセフはアリマタヤの代表議員でした。
ヨセフは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの全福音書に名前が出ていて、 マルコの中では「有力な議員」と紹介されています。
また、ルカは「ヨセフは立派な正しい人」と紹介しており、他の議員達の行動には同意しなかったと記録しています。(ルカ23:50~51)
神の国を待ち望んでいた人で、神への恐れや信仰も持っていた様です。(ルカ23:51、マルコ15:43)
また、金持ちであったので、(マルコ15:43)自分の為に立派な墓を持っていました。(ルカ23:52~53、マタイ27:57~60等)
この様に、アリマタヤのヨセフについて、聖書は詳しい人柄や、行動を伝えていますが、 イエス・キリストとの関わりで、最大の貢献はイエス様の埋葬を全てうけおったという事です。

ルカの福音書 23章

50節
さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。

51節
この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。
彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。

52節
この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。

53節
それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも 葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。


マルコの福音書 15章43節

アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。
ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。


マタイの福音書 27章

57節
夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。
彼もイエスの弟子になっていた。

58節
この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。
そこで、ピラトは、渡すように命じた。

59節
ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、

60節
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。
墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。


〈マタイ27:57~60〉
サンヘドリンの70人のうち、イエス・キリストの支持者は、ニコデモとアリマタヤのヨセフの2人だけでした。
他の68人は、イエス様を憎み、死刑に追いやった人々です。
ニコデモは老人(60歳ぐらい?)でしたが、ヨセフも自分の新しい立派な墓を作っていたので、 50~60代くらいのベテランの議員だったのでしょう。

アリマタヤのヨセフは、どんな思い、期待をもってイエス様の屍の下げ渡しを願ったのでしょうか。
イエス様が犯罪人として、特にローマに反逆するユダヤの王として、形では処刑されたのですから、 その身体の下げ渡しを願い出るということは、普通に考えると、 反逆者の弟子、支持者という事で逮捕され処刑される可能性があるのです。
ヨセフの行動はとても勇気のあるものでした。
イエス様の弟子達、ペテロ、ヨハネ、ヤコブなどの11人ですらイエス様を見捨てて逃げて いったのです。
そんな中、アリマタヤのヨセフは、ピラトに会って下げ渡しを求めているのです。
その勇気に触発され、ニコデモも没薬を30kgも持ってきて、2人でイエス様の埋葬をしています。

神の国を待ち望み、イエス様こそメシヤ(王)と信じていたヨセフですが、 そのメシヤが十字架上で死に、その期待もついえたにも関わらず、ヨセフは、絶望、失望しませんでした。
ユダヤ当局を恐れて、自分が主イエスの弟子であり、 支持者である事を隠していた時もあった人が、です。(ヨハネ19:38)
メシヤが死んでもなお、彼はそこに関わりを求めていったのです。
ヨセフは人として本当に立派な人で、正しい人だったのです。
人の信仰の本当の姿は、ここにあります。


ヨハネの福音書 19章38節

そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、 イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。
それで、ピラトは許可を与えた。
そこで、彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。


いつもイエス様に着き従い、3年半も一緒にいた12人の弟子達・・・。
寝食を共にし、何千kmも共に歩いた彼らは、結局イエス様が逮捕されると見捨て、死刑に なって死んでしまうと、絶望して閉じこもってユダヤ当局を恐れてびくびくしていました。
彼らを見ると、信仰が強いと思っていた人々が本当は弱く、信仰が弱いと思っていた人々が、 実は強いという事が分かります。

期待が外れたり、失望、絶望させられる時に、神をしっかり見据える事の出来る 人こそ、神を恐れる人であり、本当に信仰の強い人です。
見かけではありません。
熱心に多くの集会に集い、多くの奉仕をする人が、信仰者とは限らないのです。

イエス様の死によって、神の国の期待はついえたかに思え、 ヨセフの心には、悲しさが起こってきた事でしょう。
ですが、彼は、ピラトへイエス様の屍の下げ渡しを願いました。
自分はイエス様の死刑に、反対したけれども、 サンヘドリンの誤った議決をした一人として、責任を感じていたという事もあるでしょう。
また、彼はこの行動でサンヘドリンの議員68人に対し、イエス様を死刑にした事を糾弾する意思を示しました。
そして、自分がイエス・キリストの真の弟子である事を明らかにしたのです。

神の国を待ち望んでいたアリマタヤのヨセフは、どんな思いでピラトのところにいったのかは、 私達の想像にあまる事でしょう。
いろんな思いが心を交錯していた事でしょう。
ヨセフは、責任感の強い、信念の立派な人です。
自分の人生も終わろうとしていたので、用意していた自分の入る墓を、 イエス様に提供し、そこにイエス様の屍を葬ったのです。
この事から分かるように、彼は、イエス様の蘇りを全く予想していませんでした。
が、ヨセフはそれでも神の国を待ち望んでいた事でしょう。
彼は、神様につながっていましたから。

弟子達は、人としてのイエス・キリストに期待していました。
ヨセフもそうかもしれませんが、しかし、イエス・キリストが死んでもなお、 神への期待、希望はかすかに持っていた事でしょう。
神の子イエス・キリストといかないまでも、神への恐れと、尊う信仰の心を持っていたのでしょう。
だから、これほどの勇気をもって、ピラト、ユダヤの人々への恐れを乗り越えられたのです。

アリマタヤのヨセフは、この姿を通して、信仰の真の姿を私達に示してくれました。
絶望の淵に立って、それでもなお、神を信じる事、信じきる事が本物の信仰です。
アリマタヤのヨセフの貢献は、イエス・キリストの身体の下げ渡しを願って、イエス・キリストを埋葬した事でしたが、 自分の為に作った墓が空っぽになったという事の直接的な証人でもあります。
自分の墓の管理、所有権は自分自身にありましたから。

聖書にはありませんが、アリマタヤのヨセフにもイエス様は現われ、復活された事を知らされたでしょう。
彼は、あの500人の復活の証人の一人なのです。
ヨセフは、人々にこの事を証し出来る第一の証人だったのです。

最後に、アリマタヤのヨセフは、新約聖書の中の記事に協力している事でしょう。(マタイ27:62~66、ヨハネ7:50~52、ヨハネ11:47~53)
ユダヤのサンヘドリン議会での様々な取り決めについて、その話し合いの内容について、 その中の議員でなければ知りえない情報も新約聖書の中に入っているからです。
つまり、イエス様の敵方の人々の話し合いがのっているという事は、 ニコデモとアリマタヤのヨセフの証言があったからに違いありません。
味方の事だけでなく、相手の事も聖書はそのままのせています。
聖書を書く上で、ヨセフの証言は大きなものだったのです。


マタイの福音書 27章

62節
さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、

63節
こう言った。
「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』 と言っていたのを思い出しました。

64節
ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。 そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、 『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。 そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、 もっとひどいことになります。」

65節
ピラトは
「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」
と彼らに言った。

66節
そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。


ヨハネの福音書 7章

50節
彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。

51節
「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、 判決を下さないのではないか。」

52節
彼らは答えて言った。
「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」


ヨハネの福音書 11章

47節
そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。
「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。

48節
もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。 そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

49節
しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。
「あなたがたは全然何もわかっていない。

50節
ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」

51節
ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために 死のうとしておられること、

52節
また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

53節
そこで彼らは、イエスを殺すための計画を立てた。


アリマタヤのヨセフの信仰は、期待しえない時にこそ、信仰に立つ事の重要性を教えてくれる数少ない信仰でした。
私達はどうでしょうか?